生活詩 | 喫茶店の書斎から

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コーヒーカップの耳

わたしは長年、主に生活詩を書いてきた。
しかし出した詩集は、そうではなかった。
無数の生活詩は本にはなっていない。
しかしこんなのがある。Cimg2412
「つきひ」と題した手づくり詩集である。
ボールペンでの直筆である。
読みだしたら面白い。
最初の一篇。

 

    「今日が終わって」

 

夕刻より妻は公民館へ出かけている

 

二人の子どもは もう二階へ上がって寝ている

 

衣服が脱いだままの姿で散らかっている

 

冷蔵庫がかすかに地虫のような声を立てている

 

ストーブにかけられたやかんが

 

ちんちんと

 

独り言をつぶやいている

 

その上に吊るされた日めくりごよみが

 

かさかさとささやいている

 

時おり明日の日付が顔を出す。

 

          (1981年1月)

ちっとも気取ってなくて、初心者にしてはよく書けているような。

これに載っている最も新しい一篇。


「恒子」

季代がいなくなって

淋しがっていると

「わたしがおってもあかんの?」

と言う

何を言うか!

「もしもお前までが

 おらんようになったら

 俺は生きとれん」

と言うと 大笑いする

笑いごとではないのに

ホント。

    (2004年11月)


読んでいたら、過ごしてきた家族の月日が面白く、止められない。
因みに「つきひ」は一字一字が家族四人の名前の頭文字。四人なのに三字というのは、二人が同じだから。