藤田靖生さんの葬儀 | 喫茶店の書斎から

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コーヒーカップの耳

藤田靖生さんの葬儀に家内と参列してきた。
思えば長いお付き合いだった。
わたしがまだ二十歳になる前だったから、もう50年にもなる。
いつも変わらぬ人だった。
お付き合いは長かったが、それほど深いものではなかった。
いつも淡々とこちらの言い分を聞いて「よっしゃ、わかった」とことを運んで下さった。
任せておけばいい信用のできる人だった。

このご夫婦の新婚時代から知っている。
初め、石在町の酒蔵通りより少し北の路地を入った所の文化住宅に住まわれた。
わたしはそこへお米を配達に行っていた。
あ、その前に、奥様のトシ子さんは、まだうちの父親が生存中に、うちの店の事務員として少しの間お手伝いしてもらったことがあった。わたしはまだ子どもだった。その後トシ子さんは東町米穀店に長く勤められた。
だが、所帯を持たれて、東町米穀店からではなく、うちからお米を買って下さり、それはうちが米屋をやめるまで続いた。

靖生さんは努力の人だった。
丹波から出て来て、高沢工務店で修業して、二十歳代で独立し、がむしゃらに働かれた。うちの工事の時も一人で黙々と仕事をしておられた。
やがて、職人さんを何人か雇用されて会社にされた。
そこに出入りしていた安西さんという人がある。
手伝い(てったい)を派遣する親方だった。
この人から聞いた話に、「藤田さんは偉かった。若い時のことや。朝、人夫を頼みに来たんや。そやけど、『今からでは間に合わん』と家の戸口で断って、奥へ入ってご飯を食べた。ご飯を済まして、もう諦めて帰ったと思って出てみたら、まだそこにおった。ほんで『なんとかお願いします』て言うんや。あの根性には恐れ入った」と。
この安西さんも亡くなられて久しい。