今朝の神戸新聞文芸。

特選の三行詩も素晴らしいが、わたしは入選一作目の「私の呼び名」に目が留まった。
「ひとし」と「きんちゃん」が出てくる。
どちらもわたしに縁が深い。
そのうちの「きんちゃん」はわたしの名前だ。
昔はホントにたくさんの人から「きんちゃん」と呼ばれたものだった。
子どもの頃、近所のミノルさんというアチャコの物まねが得意だったお兄ちゃんは「米屋のきんちゃんつかまったあ♬」と言いながらわたしを抱きすくめたりしたことがあった。
そんなころの幼友達はもちろんのこと、学校時代は級友の多くも「きんちゃん」と呼んだ。
「きんちゃん」は呼びやすいのだろう。
中学三年の時の担任教諭が椿本金之助先生だった。
その先生も「きんちゃん」と呼ばれていたのを思い出す。
わたしを「きんちゃん」と呼んだのは幼友達、級友の他にも近所のおじちゃんおばちゃんたち。
さらには米屋をしていた時のお得意さんのおばちゃんたち。
これはもちろんわたしがまだ若い時。わたしが米屋の経営者になったのは、17歳のとき。恐らく日本で最も若い米穀店主だった。
ほかにも、わたしが「きんちゃん」と呼ばれているのを見て、それほど親しくなくても「きんちゃん」と呼ぶ人が出てきたり。
さらにわたしが大人になってからだが、近所の子どもたちがわたしのことを「きんちゃん」と呼ぶようになった。
その子どもたちの親がわたしを「きんちゃん」と呼ぶので、それを真似てのこと。
たまたまそれを聞いたお母さんが「あんたがきんちゃんと呼んだらあきません」とあわてておられたことがあった。
でもその子どもたちはその後も「きんちゃん」だった。
とにかく多くの人から呼ばれたものだった。
しかし、齢を重ねるにしたがって「きんちゃん」と呼ばれることが徐々に少なくなり、今ではもうほとんど呼ばれることがなくなった。
わずかに近所のわたしより少し上の一人二人が呼んで下さる。
そして親戚の従姉妹の一人。
あの人たちは、みんなみんないったいどこへ行ってしまったのだろうか。
なんだか淋しい。
『完本コーヒーカップの耳』 ドリアン助川さんと田辺聖子さんが絶賛の作物。面白うてやがて哀しき喫茶店。
『触媒のうた』 兵庫県の、いや日本文学界への遺産。楽しい文学史秘話が満載。