歌にギターに、他、絵でもスポーツでも上手や下手がある。
ヘタなうち、人ははウマイ人を見て、自分と違い
「ああウマイなあ」
「才能あるんだなあ」
と思ったりする。
これは自分のダメさ加減から卑屈になってしまっている場合もある。
しかし、その分野での知識や観察力があると
ちゃんと分かってくるようだ。
(小学校から観続けている大相撲に関して、伸びる力士が私には分かる!)
最近(三十路を過ぎてから)私にも音楽に関する観察力がついてきた。
遅いだろ、と自分でも思う。
が、それまでいかに、好き嫌い、という観点で音楽を聴いていたか、ということだ。
観察力が乏しかったのだろう。まこれが普通ですわな。
こういうのを
音楽家用語で「耳が悪い」「耳がない」という。
心が豊かすぎて細かいことに耳がいかない、としておこう。
例えば、私はスティービーワンダーが大好きだったが
昔は、その何が凄いのかテクニカルに音楽的にワカラナかった。
単に素敵で、グッときていた。しか言いようがなかった。(最良のリスナーですね)
地味で心地のよいスティービーのバラード
ところが、スティービーが音楽的にいかに凄いか、
分かるようになってきた。とくに自分と比べてだ。
このような客観的な判断力は
自らの音楽制作や演奏をより良いものにするための努力の中で
自然とついてきた。
勉強し、分解し、改良し、時には真似したり鍛錬したりする中で
培われ、分かってくるようだ。「ワンダーは凄い」と。
自らが、着目し、集中して取り組んだ部分に関して
他人のそれにもフォーカスできるようになるに違いない。
私は恐らく元来、大変おめでたく、大ざっぱだ。
いままで
多くの物事に対し、自分も上手く出来てる、
と勘違いをして歩んできてしまった。(独白)
私は22才の頃、初めてレコーディングの機会を得た。
いきなりの一流仕様のスタジオで面食らった。
宇多田ヒカルの大ヒットもそこで録ったとかいう
ホテルのようなバブリーなスタジオだった。
(おそらく)最高のレコーディング環境で、
アレンジも演奏も、いろんな人の手助けでしあがった。
結果、作品は
当時の私好みに、渋くてイケテルものになり
感激、大満足!
とても貴重な経験にもなった。
オムニバスアルバム(下記)であったが
私はじぶんの将来に可能性を感じた。
http://ecx.images-amazon.com/images/I/417C23124CL.jpg
めでたくレコーディングが終わり、プロデューサー氏は、
「とにかく君は歌が不十分だからボイストレーニングに行きなさい」
と普通にアドバイスをくれた。
ガーン!である。これが現実だった。
しかしそれは、まだまだ伸びしろがある、ということだった。
