天井から降ってくるもの | くにこ先生のコーヒーブレイク

くにこ先生のコーヒーブレイク

通りすがりのあなたに、心に残るお話をひとつ

 教室に入ると、異様に暖かい。

 「ね、暑くありません?」
 「そうでもないですよ。」
 「なんだか、すごーくあったかい感じがするよ。」

 エアコンのスイッチを見に行った学生さんが笑った。

 「あはは、30度に設定してた。」
 「夏じゃん。」
 「いやぁ、頭はアッツイんですけどね、足元が寒くって・・・。」

 見ると、座った学生さんの足の上には毛糸の膝かけが乗っている。
 顔は火照ったように赤くなっているのに、である。
 暖かい空気は上に行くから、当たり前と言えば当たり前だが、教室の上と下ではそれ程の温度差があるらしい。

 暖房の設定温度が30度になっていることも、実は稀なことではない。
 若者といっても、どうも寒さには弱そうだし、加えてエアコンの均一ではない部屋の暖め方もその一因に
 なっているようである。


 50年近く前の部屋は、そういえば極端に寒かった。
 木造の家の瓦屋根は木の板の上に乗っていたが、少しばかりの隙間から風が舞い込んでくる。
 欄間はその隙間のために、部屋を密封することなく、寒気を運んでくるのだった。

 小さい頃、掘り炬燵のお布団に首まで埋まって寒さをしのいだ経験がある。
 外に出ている背中とお尻だけが冷え冷えとしている。
 ふと、目を上にやると天井の隙間から白いフワフワしたものが入ってきた。

 「あれ、なあに?」
 「なんだろ。」
 「もしかして、ゆき?」
 「え?・・・わ、ホント雪だ。」

 ・・・なんて。
 今思い出しても、笑えるほど換気だけは完璧の家だった。

 そんな家の状況だったから、幼稚園や学校は、確かに寒かったが、子どもにとって耐えられないほどの
 温度ではなかった。
 今のように各部屋にエアコンが装備されているという状況ではない。

 エアコンが普及してきたのは、高度経済成長期も後半の1970年代から、80年代にかけての頃である。
 暑さや寒さは、当時、調整するよりも、いかに適応するかに重きが置かれていたような感さえある。
 それでも、子どもたちのためにと、冬になると、幼稚園や小学校では、教室にストーブが設置された。
 もちろん、エアコンではなくストーブ、いわゆる「ダルマストーブ」と呼ばれるゴツくも頑丈な代物である。

 教室の中央に鎮座した「大きな、黒い、窓の付いた丸い鉄の塊」は、くべられた石炭をアカアカと燃やし
 教室を暖めた。
 上部に付けられた太い煙突は教室の天井を横切り窓の外へと煙を運ぶ。
 朝、当番の生徒たちがバケツに入れて運んできた石炭を、先生が燃やしてくれるのである。
 子どもたちがストーブに触らないようにと、周りは木でできたかなり大きな柵で囲われているのだが、
 赤く燃えたストーブの火は教室中を柔らかに暖かくする。
 あまりの熱を利用して、この木の柵に子どもたちのお弁当袋がぶら下げられ、そして温められた。
 ストーブの周りを囲むように並べられた机で、温かく美味しいお弁当を食べたのは嬉しい思い出の一つである。

 こうして小学校の低学年のころまでは普通にあった「ダルマストーブ」は、いつの間にか姿を消してしまった。
 思い返してみると、どうも小学校の高学年と中学時代には暖房や冷房器具の恩恵に与った記憶がない。

 手のかじかむような冬の日、だんだんと登校してくる生徒の数が増えるにつれ、人いきれで暖かくなって
 いった教室。
 木製の椅子からは、座っているだけで冷気を感じ、ボックス(女の子の冬の制服のコート)に身体を埋める
 ようにして授業を受けた。
 寒すぎて、友だちと「おしくらまんじゅう」をせずには、身体の震えが止まらなかった。

 あの頃を思い出すと、結構ひどい環境で毎日を過ごしていたんだなぁ、とあらためて感じてしまう。


 夏は夏で大変だった。
 窓を全開しても暑い熊本の夏。
 セルロイドの下敷きを団扇にして暑さをしのいだ。
 先生たちは、汗拭きようのタオルを首に巻きつけている。
 あまりの暑さでやけどをしそうなベランダの手すりは、誰も触ることができなかった。


 ・・・冷暖房完備、天カセ式のエアコンから自在に送られてくる心地よい温度の空気は、つい最近まで、
 決して「当たり前の状況」ではなかったのである。

 そういえば、車のエアコンだって、最近のものだ。
 以前、オープンカーが、夏の山を走るのにかっこよさを感じたのも、実はその心地よい冷たい風を想像しての
 ものだったのかもしれない。
 今は、オープンカーより、エアコンの効いた静かな車で山道を走る方がいいなぁ、と思ってしまうもの。

 考えてみれば、温度のコントロールって、人間の飽くなき欲望の産物なのだろうな。