ものおもい | くにこ先生のコーヒーブレイク

くにこ先生のコーヒーブレイク

通りすがりのあなたに、心に残るお話をひとつ

 学校は後期の期末テストを迎えている。
 学生さんにとっては、進級や卒業のかかった大事なテストだ。
 いつもは、アルバイトや遊びで飛び回っている学生さんたちも、この期間ばかりは少々緊張した毎日を送る。
 覚える量の多い学科ともなると、試験の直前まで教科書やノートにかじりつく姿があちらこちらに見られる
 のである。

 一方、教員は、というと、日頃は「講義をしている時間」が、「試験の監督をする時間」となる。
 予習の必要もなく、テストの答案を配り、学生さんの様子を見守るだけである。
 ずっとしゃべっている日常の講義時間を考えると、誠に静かで平穏な時間。

 9時のチャイムと同時に、朝一番の試験が始まる。

 「さ、始めますよ。これからは、おしゃべり、無しね。」
 「あー、まだ、もうちょっと。」
 「早すぎますよ。」
 「そんな・・・。チャイムなって、もう、時間だからね。はい。」
 「あーぁ。」

 ため息を無視して答案を配り終えると、ざわざわした教室も、途端に静かになる。
 カリカリという鉛筆の音とエアコンのかすかな風の音が聞こえてくる。
 皆、一生懸命問題と格闘しているようだ。
 時折、顔をふと上げた学生さんと目が合うが、すぐに彼らの目線はテスト用紙に向かう。
 頭を抱えて、鉛筆を動かすことができない学生さんを見ると、思わず、小さく「ガンバレ」と声をかけたくなる。

 ただ、教科書などを持ち込んで、調べながら問題を解く形式のテストの時は、それ程の緊張感は無い。
 色とりどりの付箋を貼った教科書のページをせわしくめくる音がする。
 持ち込み許可のこれらのテストは、大抵調べにくく且つ書く量が多いので、学生さんたちも大忙しだ。
 書く量の多さに、鉛筆を持つ手まで疲れるらしい。
 鉛筆を左手に持ち替え、右手をぷらぷらと振っている学生さんの様子も、持ち込みテストならではの光景
 である。
 教員も、不正を行うことがないようにとことさら注意する必要もなく、なかなかいつもとは違う時間を過ごす
 ことになる。

 この日、窓の外は久しぶりの雨。
 一面に広がった薄明るい雲から、しとしとと絶え間なく小さな雨粒が落ちてくる。
 雲は時を刻むほどに表情を変え、空の濃淡が美しい。
 風が吹く速さが違うのだろう。
 ちぎれたような灰色の雲が飛ぶように白い雲の下を通り過ぎていく。

 いつもなら遠く広がる街並みが見渡せる校舎4階の窓からは、数百メートル先のビルの煙ったような輪郭を
 望むのがやっとである。

 晴れた日なら、ずっと遠くにある山まで見通せるのに。

 小さな鳥たちが、群れをなして雨の中を飛び、雨で煙るビルの間に消えて行った。

 外は様々な音で満ち溢れているに違いないのに、なぜか、無音の世界のような不思議な景色なのである。
 あのビルや立ち並ぶ家々の窓の向こうには、たくさんの人がそれぞれの生活を送っているのだ・・・。
 人っ子一人見えない窓の外の家々を眺めながら、ぼんやりと考えはめぐっていく。

 朝の時間帯、きっとオフィスの中では机に向かってパソコンの画面と向き合っている人が大勢いることだろう。
 お客さんとの会話に力を入れている接客業の人もいるのだろうな。
 向こうの病院では病気と闘う患者さんがいて、こちらの家ではテレビに見入っているお年寄りがいる。
 遅く起きて食事をしている人もいるかもしれない。
 学校では、子どもたちは授業を受けているのだろうか。

 建物しか目には映らないが、その中の人の生活を思い浮かべると、きりなく想像の世界は広がっていく。
 面白い。
 窓の外に広がる世界は、なんと広く、そして、なんとたくさんの人たちがいるのだろう。

 「先生。」

 突然、学生さんの声が聞こえた。

 「終わったんですけど、出てもいいですか。」
 「早かったですね。いいですよ。答案は、前に出して下さいね。」
 「はい。」

 一人の学生さんが、いち早く答案を書いて退出した。

 見回すと、残りの学生さんたちは、あせったようにまた教科書をめくり、そして鉛筆を走らせている。

 「時間は、まだ充分ありますから、しっかり頑張って書いてくださいね。」
 「多すぎるぅ。」

 どこかで声がする。
 そして、また静寂な時間が続く。


 こうして、私の空想の世界は、いきなり現実の世界にとって代わられてしまった。
 私は、今、テストを監督する教員なのだ。
 答案を前に頑張っている学生さんにとっても、外に広がる景色の中で生きている人にとっても、「今」は
 きっと、とても大切な「現実の世界」なのである。