ブラックホールというのは、あまりに重力が大きくて、何もかも飲み込んでしまう時空の領域を指すのだそうだ。
宇宙にはいくつもこんな重力の大きな場所があって、光りをも曲げ、そして吸い込んでしまうのだという。
小学生の頃、ブラックホールという恐ろしく重たい星があるという話を本で読んだ。
星が終焉を迎える時、輝く巨大な光の玉となり、それが時間とともに収縮して小さな小さな重たい塊に転じて
いくというのだ。
地球が、もしブラックホールになると、マッチ箱より小さな大きさになるのだという。
尤も、最近読んだ中では、地球は直径9ミリくらいになるという記述もあった。
マッチ箱と9ミリの球では若干(相当?)大きさが違うけれど、とにかく「地球」が縮む、ということには
変わりがない。
地球が手のひらに載るくらいの大きさの星になる・・・地球の重さは6×10の21乗トン(6×10の24乗kg)だと
いうから、並大抵の重さではない。
もし、地球がいきなりブラックホールと化したら、或いは飲み込まれたら、人間はどうなるのだろう。
あっ、という間もなく、その黒い塊の中に吸い込まれてしまって、潰れてしまう。
あっ、という間もないから、今まで築き上げてきた文明も歴史も全くの無意味となる。
当然のことながら、私という存在も、思考も、空となる。
そんなことを空想しながら、幼い頃の私は、とてつもない恐怖でいっぱいになってしまった。
それ以来なるべく、ブラックホールのこと、特に「何でもかんでも飲み込んでしまう様子」は想像しないように
してきた。
何より、考えてもわからないことだし、無意味に恐怖心だけ持ってもしょうがないと思ったからである。
私は宇宙の話も大好きだし、星を眺めるのも素敵だと思っている。
子どもの小さな頃は、季節ごとにプラネタリウムに足を運んだものだ。
計り知れない宇宙の大きさや黒く果てしなく広がる漆黒の空間は、「畏怖」とか「混沌」とか、様々な言葉を
連想させるほどの魅力を持っている。
それでも、想像をはるかに超える宇宙の大きさは、どこかで何もかもが「無」と繋がる感覚を伴うのは何故
だろう。
ブラックホールは、私の感覚の中でその「無」を連想させる。
有るのに無い領域。
重力があり過ぎて、何も無くなる星。
魅力と恐怖は同時に存在する。
先日、ネットのニュースを調べていたら、大阪大学の実験室で「模擬ブラックホール」を実現させたとの記事が
目に入った。
時事通信10月19日2時10分配信の記事では次のように報道されている。
「高出力のレーザーを使い、ブラックホール周辺で観測されている現象を実験室で発生させることに、大阪大と
中国、韓国の国際共同研究チームが成功した。天文学の新たな研究手段として活用できるという。英科学誌
ネイチャー・フィジックスの電子版で19日、発表した。
阪大レーザーエネルギー学研究センターの藤岡慎介助教は「ブラックホール周辺の環境を地上につくり出す
ことができた。高出力レーザーを使うことで、将来はブラックホールそのものをつくれる可能性が出てきた」
と話している。
実験は阪大の大型レーザー「激光XII号」で実施。直径約2メートルの真空状態の容器の中で、直径0.5ミリの
プラスチックに高出力のレーザーを照射し圧縮、ブラックホール周辺で観測される「光電離プラズマ」を発生
させた。ここから放射されたX線は、天体観測で得たデータに近いという。」
このニュースを読んで、一番初めに感じたのは「恐怖」だった。
子どもの頃のあの背筋がズンとするような気持ちが蘇ってきたのである。
ブラックホールが実験室で「つくれる」とは、どういうことなのだろう・・・。
何でも飲み込む領域が作られたら、周りの真空はどうなるのだろう。
子どもの頃漠然と思い描いたように、そのブラックホールが、実験用具を飲み込み、実験室を飲み込み、
空間を、人を、地球を、宇宙を、飲み込むことはないのだろうか。
もちろん、研究をしている方たちから見れば、なんと的外れの恐怖だろう、と思われるに違いない。
(考えるスケールが違いすぎる!! わかってはいるのだけれど・・・。でも。)
多分、「恐怖」は「無知」からくるものなのだ。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」とは、よくぞ言ったものである。
ものを、きちんと「知る」ことは、人間の知恵なのだ。
恐怖を覚えながらも、一方で、科学の進歩に対する驚きや賞賛とともに、「人間の能力ってすごいよね。」
と素直に思うこともできる。
科学の進歩は日進月歩で、想像以上に目を見張るものがあるらしい。
知る機会があるのに避けるなんて、もったいないことである。
今回、改めて高校生向けの科学の本を読みなおしてみた。
私の高校時代の知識では全く歯が立たないほど、格段に違ってきている。
ブラックホールの記述も一生懸命読んで、本当に興味深かった。
漠然としか理解できなくても、なんと面白い世界なのだろう。
ブラックホールはその異常な重力の大きさにより光さえも抜け出せないが、物質が吸い込まれる時、X線が
発生するので、場所はわかるのだという。
だから、見えなくても存在する、らしい。
白鳥座X-1の連星は見えないけれど、X線を放射していてブラックホールの可能性が強く、そして銀河の中心
には、想像を絶する巨大なブラックホールが「ある」のだそうだ。
遠く秋の澄んだ星空を眺めながら、きっとそこに存在しているであろう重たい重たい星のことを考えた。
もし、実験で極小のブラックホールができたら、宇宙のしくみがうんと解明されるに違いない。
「宇宙」の「宇」は空間、「宙」は時間のことだという。
ブラックホールが「有り」、「無」を現出すること。
なんと不思議なことだろう。
科学は、まるで哲学のようだ。
貪欲な知識欲と科学の発達の中で、人間はどこまで「知る」ことができるのだろう。
それにしても、ブラックホールって、物質だけではなく、人の興味まで飲み込んでしまうのね。