私は社会の教員なのだけれど、小学校・中学校・高校通して社会科が苦手だった。
まあ、一言でいえば「キライ」だったのである。
成績も他の教科に比べると、明らかに低かった。勉強しているにもかかわらず、である。
どうして悪いのか、自分でもよくわからず、結局「苦手だから」ということばだけで済ませてしまっていた。
当時、父は高校の社会科の教員をしていた。
それを知っていた小学校の先生は、成績表を渡しながら、
「○○さんのお父さんは、社会科の先生なのにねぇ。」
などと、わざわざ子どものやる気をそぐような言葉かけをしてくるのである。
まあ、今考えると、その先生も悪気ではなくて励ましの意味を込めてのコメントをくれたのだろう、
と思うのだけれど・・・。
だが、言われた私は、「なんでできないんだろう。」と余計に落ち込んで、さらに社会科がキライになって
いったのである。
小学校の頃、高学年になって「歴史」が入ってからは、特に社会は苦手になった。
時代感覚というか、もっといえば時間の感覚がほとんど無い状態だったので、長い時間的な流れを頭の中で
想像するということができなかったからである。
旧石器時代が長いこと続いた、ということは漠然とわかるけれど、奈良時代が100年間より短く、平安時代が
400年近くあったなんて、数字だけでしか理解できない。
時の流れの実感がないのである。
だから、歴史は年代を暗記するしか勉強の方法を思いつかなかった。
「ムジコ(645年)の日なし大化の改新」
「ナクヨ(794年)坊さん平安京」
「・・・・」
なんて、一体いくつ語呂合わせで歴史の年代を覚えたことだろう。
強制的に暗記した年代はテストの役には立ったが、歴史を「理解する」ことには一つもならなかった。
授業は、結構一生懸命に聞いてはいた、と思う。
しかし、今振り返っても、その出来事や人となりを具体的に教えてもらった記憶が一つもなく(忘れている
だけかもしれないけれど)、ひたすら何年に何が起きた、ということを頭に詰め込み続けた。
暗記の苦手な私にとっては、覚えなければならない量があまりに多く、とても「面白い」という境地にまで
至ることができなかったのである。
母は、「いやだ、いやだ。」とブチブチ文句ばかりを言っている私を見ながら不思議そうに
「歴史は面白いじゃない。」と繰り返した。
母には、信長や秀吉や家康、謙信や信玄などの戦国武将それぞれの人物像が頭にしっかりと刻み込まれて
いたようで、その人となりを「好き」だとか「嫌い」だとか評していたのを思い出す。
年代と名前とやった仕事の名前を断片的に暗記しているだけの私には、到底理解できない感想だった。
「様々なことを覚えるだけ、ってどうなんだろ。」と思いはしたものの、学校の進度に合わせて次から次に
新しいことが出てくるので、ゆっくり振り返る余裕もない。
父にたまに不満を言うと、必ず、
「もっと上の学校(小学校の時は、中学校。中学校の時は、高校。高校の時は、大学。)
に行ったら、いろんなことが深くわかって、面白くなるよ。学問するための基礎なんだから・・・、
きっと何でも役に立つ。」
という同じ答えが返ってきた。
そう言われると何だかそんな気がして、「ホントの学問をしたい。」(!!)なんて、考えたものだ。
それにしても、なんて単純な子だったんだろう。
さて、歴史しかり、地理しかり、公民しかり。
社会科と名のつく教科は、ひたすら暗記をする学科であって、面白いなんて、到底思えなかった。
覚えることが苦手、というのは他にも波及した。
英単語を覚えるのも、国語の活用形を覚えるのも、「覚えなければならない」という強迫観念となって私を
突き動かした。
若い頃は気力(体力?)でもってなんとかそれを切り抜けてきた。
この自虐的ともいえる勉強は、確かに大変なのだけれど、一方で「覚えられた」という達成感を得られるのも
事実だ。
しかし、受験勉強以降、この方法では勉強ができなくなった。
ただ覚えるだけというのには、「気力」も「体力」もないからである。
あるのは好奇心である。
「面白い、見たい、聞きたい、知りたい」があれば、結構大変な知識だって入ってくるものだ。
大学で社会学を専攻した時、今までの社会とは全く違う、と思った。
それまで苦労して覚えなければならなかったのが嘘のようである。
社会って、こんなに面白かったっけ。
つながりがわかると、覚えるのもたやすい。
・・・覚えるというより、分かる、という感覚なのかな。
あんなに社会科が嫌いだった私は、こうして社会の教員になった。
暗記が嫌い、という学生さんの気持ちは痛いほどわかる。
覚えなくてもいいから、まずは好きになることである。
好きは楽しさにつながり、そして理解したと実感できる。
できれば講義を通してそれが伝えられればいいな、と思う。
さてさて、今は「歴女」ブームだそうだ。
ひたすら武将にあこがれ、その人となりに精通した知識を身につけた彼女たちの会話を聞くにつけ、私の
少女時代のあの無味乾燥な勉強はなんだったのだろう、とあらためて情けなくなってしまう。
彼女たちは、面白くってたまらなく、そして深く深くハマってしまうのだろう。
楽しく面白く知り、うきうき考え、痛快に話したいものである。