4月1日。
「こちら、電話局でございます。只今、電話機の調査をしております。
ご迷惑をおかけしますが、受話器から1メートルほど離れて、あー、と言って下さい。」
「え、1メートルですか。はいはい。ちょっと待って下さいよ。・・・あー。」
家に勉強を習いに来ていた小学生のケイコちゃんとコトミちゃんが、電話にしがみついて笑い転げている。受話器を耳にすると、「あー。」という声が聞こえる。
あーあ。みごとに、ひっかかっちゃったよ。お父さん。
昭和48年、父は県境の県立高等学校に初代校長として赴任した。大きな隣町の高校の分校農業科が独立し、普通高校として再編されたからである。
父は、市内の大規模進学校の教頭を辞し、定年までの数年をこの僻地教育に費やした。
1学年2クラス、全校でも300人に満たない小さな学校である。
だが、新校舎を造り、校歌・綱領を作り、学校を立ち上げていく仕事は、大変さと共に大きな喜びにもなっていたと思う。
ただ、この地は私たちの感覚の中では「とっても遠い」場所だった。
自家用車を持たなかったので、交通手段はバスしかない。2時間半かけて山道を登っていった先にある小さな町だ。次第に家が少なくなり、一面に緑が広がる車窓からの風景に「あぁ、田舎に来たんだ」と実感するのだった。
九州山地の奥深く位置するこの町は、農業が産業の中心である。
お茶とブルーベリーの栽培が盛んで、山間の畑には整然と樹木が並んでいる。
空気が澄み、さえぎるものも無いので、夜になると空一面に星がまたたく。静かで美しい町である。
この父の転勤は、私たちの生活を大きく変えることとなった。
当時、私は大学2年生、妹たちは高校3年と1年になったばかりだった。転校は考えられず、父と母は二人で高校の近くにある職員官舎に転居した。実家に残された私たち姉妹3人は、叔母と共に4人で生活を送ることになった。
母は、遠い田舎で淋しかったのだろう。週末になると必ず実家に戻ってきて、私たちと時間を過ごした。
かの地へ向かう時も、私たちが遊びに行ってかの地から帰る時も、母は目にいっぱい涙をため、鼻を真っ赤にして手をふるのだった。
雪が降るとね、こっちでは1メートルも積もるんよ。
びっくりする。
見ると一面冬景色で、真っ白。市内にいた時は、雪が積もるなんてほとんどなかったもんね。
田舎だけど、生活はしやすいとこよ。
町のメイン通りがあるんだけど、ちゃんとお店やさんが、2つずつあってね。
お魚屋さんが2つ、お肉屋さんが2つ、八百屋さんが2つ、って。
通りを歩くと、校長先生の奥さんがどこに行ったって分かるから、どのお店にも偏らないように行くようにしてるんよ。
電話も、交換を通さないとダメなんて、今どきねぇ。どこに電話かけたか分かっちゃうもんね。
町の人たちとの関わりの中で生活する母の気の使いようは、結構大変そうだった。
電話はダイヤルのついていない不思議な形をしている。側面にハンドルが付いていて、電話をかける時は受話器を取って、そのハンドルをくるくる回すのだ。すると「交換です。」という声が返ってくる。相手の電話番号を言うと、交換の人が電話を繋いでくれるのだった。
実家で学生生活を送っていた私は、家で子どもたちに勉強を教えていた。小学6年になるケイコちゃんが、その電話の話しを聞いて、「今日はエイプリルフールだから、おじいちゃんをだまそう。」と言い出した。
東京で小学校低学年を過ごした彼女は、アクセントがきれいだ。よそいきの声を出すとOLさんのようだ。やってみよう、ということになった。そして、冒頭の会話になったのである。
「電話が交換を通してだから、こんな検査もあるのかなあと、思った。」と父は言った。
電話はその後ダイヤル式に変わったが、様々な場面で市内の生活との違いが目に付いた。
最も異なっていたのは、人との付き合い方である
濃密な付き合いはなかなか味わい深くはあるが、都市の生活に慣れた者にとって馴染めないことも多いのではないか。
この町で、大学のギターサークルのサマーキャンプを行なったことがある。空き時間に、付き合っていた彼(現在の夫)と、メインストリートを一度だけ往復した。ただ、歩いただけである。もちろん、私のことも彼のことも町の人は知らないはずだった。
次の日、母から注意された。
「校長先生の娘さんが男と歩きよった。」といううわさが立ったのだという。
こわい事であった。
私の勤務する学校にこの町出身の学生さんが入ってきた。
父が赴任していた高校の出身という。
いい町だよね、と声をかけた。
うーん。複雑ですよね。
実は、この前、町に帰ったんですよ。
家に居たとき、ダイエットのために部屋で体操をしたんですよね。それこそ、見られたら嫌だと思って、きっちりドアを閉めて、カーテン閉めてやったんですよ。
ところが、ホントびっくりしたんですけど、翌日、隣のおばちゃんから「昨日、体操しよったろ。」と聞かれたんです。
すごい、と思いません? 部屋、閉めきってたんですよ。
もう、怖くてですね。どこで見られてるかわかんない。
いやー。あの町で就職はしたくないです。
と、彼女は答えた。
その後、父が赴任した高校では、次第に学生数が減っていった。
少子化の影響以上に市内の私立高校への学生の流出が目立つ。
地元の県立普通高校よりも人気があるのだという。
親御さんたちも高い学費を出してでも、市内に子どもを送り出していたようだ。
若者は都市を目指し、町の過疎化、高齢化は一段と進んでいった。
一度町を離れた若者たちは、なかなか町に戻ってこない。