今年のイースター、予定がありミサには行けなかったですが出先で思いもかけないところで、聖書のイエスの復活に関する章の話を聞きました。
少し長いけど、預言の部分です。
「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちの背きの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。彼は痛めつけられた。」
この世に生まれて来たということは、
宗教を問わず祝福されて来たという事だと思います。
お天道様は見ているという言い方もありますが、
どんな時も1人ではなく、お天道様は見ていると信じて良いと思います。