「母の歌」・「父の記録」 | 花と器~coffee break100のブログ~

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自由な時間ができました。
庭の花木や鉢花の手入れをしたり、
庭の隅にある猫の額ほどの畑で、季節の野菜作りをしています。
四季折々の花を眺め、旅先で買い求めた器でコーヒーを飲むのが、何よりも楽しい時間です。

土曜日の短歌教室の話をブログに書きながら、

ふと思いついたので、短歌と母と父の話を少々。

決して、「ブログに書くことがなくなったから親の助け」、というわけではありません、念のため(笑)

 

生前、母が短歌を作っているということは、全く知りませんでした。

平成15年(2003年)に亡くなった後、遺品を整理してて、大学ノートに書かれた短歌とメモ書きを見つけました。

それほどの数ではなかったけど、特に目についたのは、花の歌。

父のこと、若くして亡くなった姉妹弟さんのこと、そして孫(私たちの子)の成長と結びつけて短歌を詠んでいました。

 

・鉢花を下げて訪なう友の家 帰りの手にも又鉢のある

・四十年前に一日でも戻りたし病む身せつなく結婚記念日

・見事なるボケの花咲く春彼岸 短き命姉は逝きたり

・ふくらみし蕾の白きサボテンは亡き妹の買いし物なり

・地球儀の日本の国を孫の見て天気予報のあると喜ぶ

 

これを、そのまま埋もれさせたくないなと思い、こんな形にまとめました。

短歌だけに絞りました。

ほんの薄い手作り冊子ですが、母の四十九日に集まっていただいた方たちにお渡しし、少しホッとした気持ちになりました。

 

生前、父が短歌を作っているということも、全く知りませんでした。

父と母は、孫(私たちの子)が生まれる時に私たちと同居し、孫の世話をしてくれました。

父は、その日々の成長の記録を『○○の記』として、書き残していました。

幼い頃、私たちが見ることのできなかった子どもの昼間の様子が、手に取るように分かります。

私や子どもたちにとって、大切な記録です。

そして、その終わりの方に、短歌が書きとめられていました。

折に触れて詠んだ歌の他に、子どもの頃を思い出して詠んだ歌もありました。

 

・合歓の木に登りてゆする子供等を妻は見上げて叱りおるなり

・長き風邪ピアノ弾く指動かぬと孫は嘆けり涙流して

・庭隅の八重なる花の山吹は万場の岡の墓の花なり

・故郷のひなの市から買い求む海棠の花今年も咲けり

・真夜中にトイレの窓を開け放し しみじみと吸う闇の外気を

 

平成9年(1997年)没。

だいぶ年月を経てから、

「母の短歌だけ冊子にして、父のがないんじゃ申し訳ないな」(笑)と思い、これもまとめてみました。

父の略歴と家族の記録の他に、

『○○の記』も一部そのままコピーして印刷。

人名がやたら出てくるので、伏せ字だらけでスミマセン(笑)

こちらも薄い手作り冊子です。父の七回忌に、皆さんにお渡ししました。

 

私が60歳になって定年退職が目前に迫った頃、突然短歌を作ってみたくなったのは、

もしかしたら、こんな父と母の短歌の記憶が、無意識のうちに表れたのかな、なんて思ったりすることもあります。