景数 | 97景 |
題名 | 小奈木川五本まつ |
改印 | 安政3年7月 |
落款 | 廣重筆 |
描かれた日(推定) | 安政3年7月 |
小名木川の大横川と横十間川の中間地点に、大きく張り出している松がある所は五本松と呼ばれた。かつては5本の松が植わっていたが、絵にあるように他は枯れて1本だけになっていた。この松は、綾部藩九鬼家の下屋敷に植わっていた。
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この絵のモチーフとされた江戸名所図会にも五本松が描かれている。小名木川のカーブが図会では左、百景では右になっているが、実際は直線の川であるのでデフォルメされている。両絵とも船が描かれているがこれは行徳船で、小網町と行徳を結ぶ船便である。乗客が川面に手拭いを濡らしているところも一致している。
小名木川は、かつては行徳塩を運ぶため開削された。当時は小名木川の辺りまで海で、海の近くに水路を掘る沿岸運河という方法がとられた。海岸沿いに水路を掘ることで、掘削する土の両が少なくて済み、また運航も波の影響を受けにくく、安全で安定した塩の輸送が可能となったのである。
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この辺りの安政地震の被害は、武江年表に猿江町の近くの寺院が倒壊、猿江裏町は3件を残して倒壊したとある。切絵図を見ると猿江町と猿江御材木蔵の間に、数件の寺院があり、これらが倒壊したのだろう。この辺りの震度は6弱と推定され、記録にはないが多くの家屋が倒壊したと考えられる。ただ五本松が大丈夫だったので、火災はなかったようだ。
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最後にこの絵が描かれた日を推測してみよう。
広重は小名木川のカーブを右カーブに変更している。これは小名木川の北側の町屋が遠くまで見通せるようにデフォルメしたと考えられる。安政地震によって、小名木川の北側の町屋は多くは倒壊してしまったが、この絵では復活している様子がわかる。改印の安政3年7月で地震から9ヶ月、深川の復興を描いたのだろう。
武江年表