92景 木母寺内川御前栽畑 | 広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

百景が描かれた時代背景、浮世絵の細部、安政地震からの復興を完全解説!

 景数  92景 
 題名  木母寺内川御前栽畑 
 改印  安政4年12月 
 落款  廣重畫 
 描かれた日(推定)  安政4年秋

木母寺内川御前栽畑

 題名になっている御前栽畑とは、将軍に献上するために四季の野菜を育てている場所のことを言う。

絵に描かれているものを見ていこう。手前の舟から芸者が下りて向かっている先の建物が、
蜆料理で有名な植半という料亭である。御前栽畑周辺には他にも名高い料亭があったという。
流れる川は内川、絵の左側が御前栽畑である。木母寺は手前側になり描かれていない。
 この辺りは古松があり、景観の良い場所であった。将軍の御成のときに、休憩所になる。

 木母寺は梅若伝説がある。京都の公卿の子梅若丸は、7歳の時勉学に行った比叡山で、仲間のイジメにあい、逃げて帰る途中悪者に誘拐され、隅田川まで連れて来られて病死した。これを哀れんだ僧が埋葬して築いた塚が梅若塚である。ちょうどその1年後、子供の行方を訪ねてやって来た母親が塚の由来を聞いて世をはかなみ、供養の念仏を唱えて鐘ケ池(対岸の橋場の西)に身を投じて自殺してしまった。これが梅若伝説で、謡曲や歌舞伎にも取り入れられている。
ここで一句川柳を紹介しよう。

帰りには人買いになる梅若忌

木母寺には近くに遊廓があるが、人さらいにさらわれた梅若の死を悼むのに、女郎を買っているので、皮肉った句。

最後にこの絵の描かれた日であるが、嘉永3年出版の絵本江戸土産にも御前栽畑が描かれているが、雪景色であり構図もほとんど同じである。広重はこの絵を秋の風景にして描きなおしたと考えられる。

絵本江戸土産木母寺料理屋御前栽畑内川



この記事で参考にした本

江戸文学地名辞典

江戸風俗 東都歳時記を読む

将軍の鷹狩り (同成社江戸時代史叢書)


広重の大江戸名所百景散歩―江戸切絵図で歩く (古地図ライブラリー (3))


江戸・町づくし稿〈下巻〉