93景  にい宿のわたし | 広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

百景が描かれた時代背景、浮世絵の細部、安政地震からの復興を完全解説!

 景数  93景 
 題名   にい宿のわたし 
 改印  安政4年2月 
 落款  廣重画  
 描かれた日(推定)  安政3年冬

にい宿のわたし

 水戸街道が中川を渡るところに宿場町があり、それを「新宿(にいしゅく)」と呼んだ。現在でも葛飾区に町名を残しており、新宿踏切は渋滞する場所として交通情報で、良く出てくる地名である。

 新宿は水戸佐倉街道の宿場町として知られてる。江戸開府前、北条氏の支配のころに既に整備されていた宿場町である。江戸から新宿を過ぎると、水戸街道と佐倉街道が分岐する。

 この絵は中川の亀有側からにい宿側を描いていおり、亀有側にあった料亭が描かれている。にい宿の名のある料亭は、藤屋、中川屋、亀屋などがあり、中川でとれる鯉や鱸を料理として出していた。

 にい宿の渡しは広重が過去に描いていない場所であるが、同時期に刊行された「絵本江戸土産」7編に構図を変えて描いている。これを見ると百景では1件しか描かれいない料亭が、数件あることがわかる。
 
さて最後にこの絵が描かれた日を推測してみよう。絵本江戸土産には中川が夏秋は増水して海のようになるとあり、また描かれた人々が厚着であることから、冬の絵と推測できる。

この記事で参考にした本


広重の大江戸名所百景散歩―江戸切絵図で歩く (古地図ライブラリー (3))

東京の地名由来辞典

絵本江戸土産 7編