91景 請地秋葉の境内 | 広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

百景が描かれた時代背景、浮世絵の細部、安政地震からの復興を完全解説!

 景数  91景 
 題名  請地秋葉の境内 
 改印  安政4年8月 
 落款  廣重畫 
 描かれた日(推定)  安政3年秋

請地秋葉の境内


 現在の秋葉原の語源にあたる秋葉神社は、江戸時代には請地村にあった。

 まずは題字の解説をしてみよう。請地とは秋葉神社がある村の名前で請地村という。またの名を向島と呼び、現代ではこの方が分かりやすいだろう。請地とは、江戸の初期、この辺りはまだ湿地で浮き地と呼ばれていたことから。切絵図では地が濁ってジになるが、点が取れて「請シ」となっている。
 秋葉神社は、秋葉大権現と千代世稲荷を合祀しており、別当は満願寺。

 次に絵に描かれているものを解説してみよう。秋葉神社は神社でありながら庭園をもっている。本来神社は境内に庭園を設けることはなく、自然に任せるのだが、別当として寺が入っている場合、寺の風習に従って庭園を作るようになる。他に庭園が立派な神社として根津神社のつつじが有名である。
 境内にある松は、千葉松という。うろから神水が涌き出て、もろもろの病に奇瑞に効くという。絵には松がたくさん描かれているが、どの松が千葉松であるかは不明。(江戸名所花暦、江戸町づくし稿)
 境内には紅葉が色づいていて、それを見て、一句詠もうとしている隠居姿の人が対岸にいる。境内は太田南畝などの文化人に好まれ、秋葉神社周辺には、料理屋の平岩、大七、武蔵屋がある。

東都高名会席尽大七の河岸
東都高名会席尽  大七の河岸


 最後にいつものように、この絵の描かれた日の推測をしてみたいが、残念ながら日付を特定できるものがなにもない。
絵本江戸土産7編(安政4年)でも同一場面が出てくるので、この絵と合わせて描かれたことが分かっている。
改印直前の秋の絵としておこう。

この記事で参考にした本


広重の大江戸名所百景散歩―江戸切絵図で歩く (古地図ライブラリー (3))

江戸名所花暦
東京の地名由来辞典
江戸・町づくし稿〈下巻〉