景数 | 84景 |
題名 | 目黒爺々が茶屋 |
改印 | 安政4年4月 |
落款 | 廣重画 |
描かれた日(推定) | 安政3年10月前半 |
爺々ヶ茶屋とは変な名前だが、その名は由緒正しい。三代家光がこの地で鷹狩を行うとき(八代吉宗、十代家治とも言われる)、好んでこの茶屋を利用し、老店主の彦四郎を爺、じじいと親しく呼んだことによる。
目黒の台は富士山の眺望に優れ、江戸名所図会、名所江戸百景、絵本江戸土産といった当時の江戸名所本毎に数点で取り上げられているほどだ。
同時期に描かれた「絵本江戸土産」7編(安政4年)にも爺ヶ茶屋があり、その説明には、
同その二 爺々(ぢぢ)が茶屋 むかし寛永のころかとよ。大樹この野辺に放鷹ありて,ここに立ちよらせたまふといふ。そのころ老人夫婦あり,これを歓待(もてな)し奉る。よつて爺々が茶屋とよぶ。されば今老夫ならぬも爺々といふ名を負はしたる。いとも殊勝の旧跡なり
などと、先ほどの説明と同じようなことが書かれている。
この場所は、現在は権之助坂から1つ南側の坂とされ、現在の田道橋当たりとされるのが一般的である。現在も目黒川へと下る道は、今日も茶屋坂として残っている。舗装されてはいるが、道の曲がり具合は変わらない。
ところで「目黒のさんま」という落語は御存じだろうか?ある殿様が出先の茶屋で、食事を所望したところ、さんましかないということで、焼きさんまを出したところ大層気に行った。
後日、屋敷でさんまを所望したところ、脂っこいのは殿様に毒だ、ということで蒸して脂を抜いたものを差し上げたが、さっぱりうまくない。「これはどこのさんまだ?」「日本橋のです」「いかん。さんまは目黒に限る」というお話。
この噺の原型がこの茶屋にあると思われる。しかし実際に落語に出て来る場所は目黒元不二であるが。
さて最後にこの絵の描かれた日の推測であるが、残念ながら日付の手掛かりになるようなものがなにもない。季節は刈田が終わった晩秋で、町人の服装が冬用になっている。一方、富士山はまだ頂上から1分ほどの冠雪である。
同時期に描かれ季節も同じと推測される25景「目黒元不二」では富士山は3~4分の冠雪なのでそれよりも前の日付と考えられる。25景「目黒元不二」は安政3年10月21日と推測していることから、この絵は安政3年10月前半に描かれたものと推測する。
この記事で参考にした本
広重の大江戸名所百景散歩―江戸切絵図で歩く (古地図ライブラリー (3))
広重 名所江戸百景
江戸・町づくし稿〈別巻〉
絵本江戸土産
斎藤月岑日記6
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