景数 | 72景 |
題名 | はねたのわたし弁天の社 |
改印 | 安政5年8月 |
落款 | 廣重畫 |
描かれた日(推定) | 嘉永3年 |
この絵の改印は安政5年8月、つまり広重が生前に受けた改印3枚のうちの1枚である。他の2枚は近像型構図となっていないため、百景の特徴である近像型構図の遺作と言える。また百景の中で最南の絵となっている。
東海道で玉川を渡る場合、羽田の渡しから少し上流の六郷の渡しで渡る。この渡しを利用するのは専ら川崎大師に参詣する人々である。
川崎大師は、正式には平間寺(へいげんじ)で、昔から厄除大師として有名であった。参詣が多いのは、正月、3、5,9月の21日で、特に3月がおびただしい参詣者を集めた。
広重は嘉永3年刊行の「絵本江戸土産 第3篇」の中でも、この地を描いている。ただ近景に船頭がいるのと、常夜灯の位置が違う。おそらく構図のために、常夜灯を見える位置にしたのだろう。さらにこの絵は、江戸名所図会と構図が酷似している。江戸土産の解説には、
羽田 弁財天社 本名を要島(かなめじま)といふ。俗に羽田の弁天といへり。相州榎島(えのしま)本宮と同体にして,弘法大師の作なり。宝永八年四月海誉上人の勧請といふ
下の図会にあるように、弁天の社があるところは島になっていて、要島という。また本尊は江の島と同じで、弘法大師の作である。
さて、最後にいつものようにこの絵が描かれてた日の推測をする。モチーフには絵本江戸土産を参考にしていることは明らかである。生前最後の改印の3枚のうちの1枚であるが、江戸土産が描かれた嘉永3年の作とする。
参考文献
広重の大江戸名所百景散歩―江戸切絵図で歩く (古地図ライブラリー (3))
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