69景 深川三十三間堂 | 広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

百景が描かれた時代背景、浮世絵の細部、安政地震からの復興を完全解説!

 景数  69景 
 題名  深川三十三間堂 
 改印  安政4年8月 
 落款  廣重畫 
 描かれた日(推定)  嘉永3年 

$広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~-深川三十三間堂


 深川の三十三間堂は、京都・東山の三十三間堂を写した建て物で、寛永19年(1642)に弓師備後という者が、幕府に請願して浅草に土地を与えられて建てた。しかし元禄11年(1698)に焼失し、同14年に深川の地に再建され、その後焼失や倒壊を何度か繰り返した。
 京都の三十三間堂の通し矢と同じく、堂の濡縁で矢を射って、約120m(三十三間堂だが、実際に柱は2間ごとなので66間)先の的に数多く的申した者を名人と呼び、その名前は矢数帳(記録帳)に明記されるとともに、絵馬にして堂に掲げられた。最高記録は天保10年の当時10才の少年が10時間で12015本中はずれ33本である。
 この絵でも通し矢が行われているようで、外からその様子を見ている人が数人いる。

 三十三間堂のあるところは、68景「深川八まん山ひらき」の永代寺から200mほど東に行ったところで、管轄は幕府の施設と思いきや、永代寺の管理する建物であった。
 濡縁は建物の外側であるが、中はちゃんとした建物で、観音像が安置されている。最も京都と比べて幅が半分であったので1体だけである。拝観者は少なかったようだ。

 その他に描かれているものを見てみよう。後ろに見えるのは木場で材木がいくつか浮いている。木を水に沈めて保管しておくと、木のヤニが外に出てきて建物にしたときの日持ちが良くなる。現在でも輸入木材を海に浮かべているところがあるが、貯蔵方法は昔も今も変わらない。
 その手前には葦簀造りの茶屋が数軒描かれているが、軒数からするとそれほど繁昌する地域ではなかったようだ。深川最大の繁華街の深川八幡の門前町からは、やや距離があるためここまでくると閑散としていたようだ。
 三十三間堂の屋根は、雲母(きら)摺りが施されていて、シンプルな構図だが堂が引き立つように工夫されている。
 しかしもっと注目すべき点は、この絵の描かれた時期にある。

 安政地震で三十三間堂は3分の2が潰れるという大被害を受けた。また安政3年8月の未曽有の台風では、深川一帯が高潮に襲われ、多くの家屋が流出した。このときの被害の記録は見当たらないが、海から近いこの場所で無傷でいられたとは思えない。

 安政3年8月の台風の深川の様子は、安政風聞集に記録が残っているので紹介する。(文章は現代風)

わたしの友人の某は、この夜深川の久喜万字屋(ひさきまんじ)の仮宅で遊んでいた。ところが、夜明けごろに高潮が勢いよく押し寄せてきて、床上にあふれたと見るや、しだいに水が増えてくる。友人も階段をおりて帰ろうとしたが、こんな状況なので、しかたなくふたたび二階へ戻って、二階からあちこち見わたすと、町は一面の大水で、さながら海のようになった。やがて棟の低い家は、二階も水につかりそうに見えて、めまいがしそうなほどだったが、たばこを四、五服吸っているうちに、すこしずつ水が引いて、しだいしだいに減ったので、気分がおちついて二階をおりた。それでもまだ床上に水があるので、むなしく夜明けになってしまったということである。

 久喜万字屋は吉原で玉楼と1、2を争う大店で、安政地震で吉原が全焼したため、深川八幡の門前に仮宅を出して営業していた。そこで1階が水没したとある。三十三間堂も水没したと思われ、流出しなくても泥だらけになったことだろう。

 記録にある三十三間堂の修理は、修理開始が万延元年(1860)11月、終了は文久2年(1862年)6月中旬のことである。これは改印よりずっと後のことで、広重はすでに没している。

 最後にこの絵の描かれた日を推測してみよう。前述のように改印のある安政4年8月には三十三間堂がまだ修理されていない。よって地震より前に描かれてたと考えられる。
 実は広重は、この絵と全く同じ構図を嘉永3年(1850)の絵本江戸土産1編で描いていた。

$広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~-絵本江戸土産 深川三十三間堂
絵本江戸土産 深川三十三間堂


 つまり、百景はこのとき描いた堂を、まだ再建も始まっていないのに、再建されるものとして描いたのであった。こんな状態を名所として描いてしまうのはどうかと思うが。一応、今回の結論として、この絵を描いた日を嘉永3年としておく。

参考文献
定本 武江年表〈上〉 (ちくま学芸文庫)
定本 武江年表〈中〉 (ちくま学芸文庫)
定本武江年表 下 (ちくま学芸文庫)
広重 名所江戸百景
高橋誠一郎コレクション浮世絵〈第5巻〉広重 (1975年)
実録・大江戸壊滅の日 (1982年)
絵本江戸土産

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