67景 逆井のわたし | 広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

百景が描かれた時代背景、浮世絵の細部、安政地震からの復興を完全解説!

 景数  67景 
 題名  逆井のわたし 
 改印  安政4年2月 
 落款  廣重画 
 描かれた日(推定)  嘉永3年夏 

$広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~-逆井のわたし


 自分にはただの田舎の風景のようにしか見えないが、絵本江戸土産の中では、

竪川通の末にして,葛西へわたる渡しなり。これより先は小松川、かの新宿(にひじゆく)へも遠からず。耕地のありさま菜園の体、風流好士の遊観なり

とあり、江戸の雑踏を嫌う風流な人は、郊外の閑散な土地を訪れる流行があったようだ。逆井は絵本江戸土産第一編にのっているが、この一編に載っているのは木下川(きねがは)の風景、国府の台眺望といった江戸の名所というよりむしろ、江戸郊外の新たな名所といったところが多い。
 百景ではシリーズ第1作目から百枚描くつもりで題名をつけているので、郊外の風情のある場所や、いままで取り上げられないような場所を取り上げている。猫実(ねこざね)、ばらばら松、そしてこの逆井などがそれにあたる。

$広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~-絵本江戸土産 逆井乃渡
絵本江戸土産 逆井乃渡


 逆井の地名は、中川が底湿だったため、満潮時に海水が川へ逆流することが由来であるという。
 逆井の渡しは、佐倉街道の中川を渡る渡し船のあるところだが、正確には渡しがあるのは隣の西小松川村であった。もう一つ有名なのが、松並木で、地主の三郎兵衛の名をとって「さぶの松」と呼ばれた。
 この絵の背景の山が房総の山々であるので、集落になっているところが、西小松川村、その手前の松が「さぶの松」であろう。房総の山々は実際にはこれほど大きく見えないため、構図を考えてデフォルメしている。

 その他に描かれているものも見てみよう。手前に鳥がたくさん飛んでいるが、これは小鷺である。日本にはいわゆる白鷺と言われる鷺が数種類住んでいるが、この絵では頭に化粧羽があることから、小鷺であることがわかる。
 手前の川面には細長い草が描かれているが、これは葦である。葦は湿地帯に好んで生え、また汽水域でも育つことから、この辺りでは多かったようだ。

 最後にいつものように、この絵の描かれた日の推測をしてみたいが、残念ながら日付を特定できるものはほとんどない。
 唯一ともいえる手掛かりは小鷺で、冠羽があるので夏ということくらいである。
 絵本江戸土産と構図を比較してみると、百景ではもう少し上流から向きをやや南向きにして描いている。そして房総の山々、小鷺、葦を追加している程度で、百景のためにわざわざこの地を訪れて、描いたものとは考えにくい。
 絵本江戸土産一編は嘉永3年の刊行。そのとき描いたものから内容的に新たな進展がないことから、この年を描かれてた年とする。

参考文献
広重―江戸風景版画大聚成
東京の地名由来辞典


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