65景 亀戸天神境内 | 広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~

百景が描かれた時代背景、浮世絵の細部、安政地震からの復興を完全解説!

 景数  65景 
 題名  亀戸天神境内 
 改印  安政3年7月 
 落款  廣重筆 
 描かれた日(推定)  安政3年4月4か5日 

$広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~-亀戸天神境内


 昔この辺りは海とも島とも言えるような湿地帯が幾つか点在していた。その1つのこの辺りを亀ノ島と呼んでいた。向島、柳島など島のつく地名が多いのは、その名残である。亀ノ島には井戸があり、それが亀戸の地名の由来である。
 諸説に亀の甲羅から水の出る井戸があったから、というのは順番が逆で、亀戸という地名なので後から亀の甲羅から水の出る井戸にしたのが正しい。その井戸(井戸の場所は諸説ある)はおそらく亀戸天神の境内にあった妙義神社のもので、東都歳事記に絵が残っている。(右下あたり)

$広重アナリーゼ~名所江戸百景の描かれた日~-東都歳事記 初卯の日亀戸妙義恭
東都歳事記 初卯の日亀戸妙義恭


 亀戸天神は、菅原道真(天満大自在天神)を祀る東国天満宮の宗社として江戸時代から栄えていた。妙義神社の毎年正月の初卯、正月24、25日に行なわれる「鷽(うそ)替え」、5月の藤見は言うまでもなく、学問の神様としての信仰も集めていた。落語「質屋庫(ぐら)」にも出てくるように、江戸時代の寺子屋には天神様の彫刻や絵が置かれていた。
 落語「質屋庫(ぐら)」とは、貧困に窮した寺子屋の師匠が、ついに大切な天神像を質に入れようと、天神様にしばらく質屋で急場を凌ぐ願いをした。天神様は承知したものの、(質)流れにしてくれるな、と念を押すのがサゲ。菅原道真が太宰府に流されてしまったようなことがないように、念を押したのだ。
 小話で亀戸天神に関するものをもう1つ紹介しておこう。なぞなぞで「料理人塩の辛きは不塩梅(ふあんばい)」というのが問題。
 料理人が塩の塩梅(あんばい)が悪く辛くなった。したがって、もう少し甘く煮るのが良い、ということで、甘く煮るというシャレで、答えは天國(あまくに)。我が国の刀剣師の祖天國は、飛鳥時代の刀工で、江戸名所図会によると亀戸天神は至宝として天國作の刀剣を所有していた。この天國の一振で、抜けば必ず雨雲を招くという。
 昭和20年の戦災で、社殿と境内が全焼してしまうが、現在は再建され藤の季節には、この絵と同じような風景を楽しむことができる。そして天國の刀剣も現在にも伝わっているという。

 さて、この絵に描かれているものを詳しく見てみよう。中央に描かれている橋は反橋である。現在は太鼓橋と呼ばれていて出版されている本も太鼓橋と書いてあるが、絵本江戸土産は「亀戸 天神の社 (中略)反橋も亀戸の名物とやいふべからん」と書いてあり、明治に入って正岡子規も「反橋や 藤紫に 鯉赤し」と俳句を残しており、江戸時代に太鼓橋とは呼ばなかったようである。
 橋の下の池は、御手洗池、その周りには藤棚が張り巡らされ、橋の下に見えるように藤棚の下は、茶店になっていて、唐のやまとの茶を煎じて出していたという。
 初摺では、橋の下が池と同じ青で摺られていて、後摺で修正され(掲載しているのは後摺)。百景では初摺の摺り間違えを後摺で修正しているものが幾つかあるが、この絵は判別がわかりやすい。

 安政地震での亀戸天神の被害は、本殿は無事だったが、境内は大破損。また門前町は一丁が焼けた。境内の破損個所の詳細まではわからず反り橋の被害までは不明である。安政見聞誌
 亀戸天神の周辺は、酒楼、食店、茶店が特に多く、鯉料理や、業平蜆が名物だった。嘉永5年の豊国と広重の合作「東都高名会席尽」にも取り上げられた玉屋、巴屋といった会席即席料理屋があり、菓子屋として今も続く「船橋屋」があったが、少なからず被害があったものと思われる。

 最後にこの絵が描かれた日の推測をしてみよう。藤の咲く時期は長く特定が難しいが、絵をよく見ると藤の花が先端まで咲き切っていて満開状態である。これより描いた季節としては立夏のあたりだと推測できる。
 一方、絵がいた年はなかなか難しい。広重は安政地震以前にも反橋や藤棚を描いた作品を何枚も描いており、百景に描かれている内容だけでは地震後であることを特定できない。ただ百景の構図のものは過去の作品になく、過去の作品は敬門を描くものが多い。逆を言えば敬門が損傷して、改印のある安政3年の藤の季節には描けなかったともいえる。
 以上から、安政3年の立夏のころ、すなわち安政3年4月2日周辺で晴れの日を探すと、4、5日が該当する。

参考文献
和洋暦換算事典
江戸東京 はやり信仰事典
広重―江戸風景版画大聚成
実録・大江戸壊滅の日 (1982年)
江戸名所図会 (下)
江戸・町づくし稿〈下巻〉
東都歳事記 (1) (東洋文庫 (159))
江戸の洒落 絵入りことば遊びを読む
江戸風俗絵入り小咄を読む


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