1973年4月
神奈川県横須賀市に生まれました。
そして、育ちも現在も横須賀です。
生まれた時から、
両親が営む小売業
(いわゆるスーパーマーケットです)の
中で育ちました。
3姉妹の長女である私に、
父は商売の「いろは」を
色々と教えてくれました。
今思えば経営、お金の
英才教育をしていたのだと思います。
私が子供の頃は、
地域に密着した繁盛店でした。
「お店の入り口を入ると、
出口のレジまで行かないと
外に出れない。」と言われ、
後戻り出来ないくらいに混んでいて、
活気に満ち溢れていました。
小学1年生の頃、幼い子供の私に
近所のおばさんが
「土屋さんちは儲かってるわね~」と
イヤミを言う程でした。
この時、誰が見ても
儲かっているか、儲かっていないかが
分かる商売はヤダなー。と
子供心に思いました。
私が小学3年生くらいの時、
お店の営業時間が終わって一段落した父が、
私を事務所に呼びました。
父しかいない事務所へ行くと、
机の上には1000万円が積まれていました。
私はその机の前に座らされて
「いいか多江子。
ここにこれだけのお金がある。
これはお店の売り上げだけど、
全部うちのお金では無いんだよ。」
と言って、
おもむろに100万円の束を
いくつか取りました。
「このお金は問屋さんに支払う、
仕入れのお金なんだよ。」
そして、又取って、
「これは、お店を建てる時に借りたお金で、
銀行に返済するんだよ。」
そして、又取って、
「これは、一生懸命働いてくれる
従業員やパートさん達に払う
お給料なんだよ。」
そして、又取って
「これは、お店を動かすのに必要な
電気や水道代なんだよ」
と言った風に繰り返し、
最後に
「残った、このお金が儲けなんだよ」
「でも、ここから税金を払うから、
本当に手元に残るのはこのお金なんだよ」
と言って、最後に残ったお金を半分にしました。
その日をきっかけに、
父は私にお金の話をよくするようになりました。
人は、
見たことも扱ったことも無い大金を
手にすると狂う。
とにかく、大金に慣れろ。
目の前に大金があっても
全部自分の物だと思うな。
と教え込まれました。
小学5年生になると
小切手の講義が始まって、
その年の夏休みから
問屋さんの集金が来ると、
私が居る時は
小切手を切るのは
私の役割となりました。
酒問屋の支払いとなると1社あたり
100万円から200万円の請求額でしたが、
小学5年生の私は当たり前のように
小切手を切っていたのです。
今思うと、ちょっと恐ろしいです。
高校生の頃には、
毎日レジを締めて集計するのも
私の日課になっていました。
高校は地域では
まあまあの進学校に行きましたが、
世の中はバブル真っ只中で、
当時の大学生の印象は
お立ち台の上で踊って、
高級車を乗り回して、
アッシーだのメッシーだの言って、
遊んでいるイメージしかありませんでした。
私は
大学は遊びに行くようなものだと思って、
はなから進学するつもりは無く、
そのままお店の実務をこなしていました。
時を同じくして、
父が横須賀市の市議会議員に当選し、
2足のわらじとなりました。
「このままでは自分に投票してくれた人に
申し訳ないから、議員の仕事に専念する。」
と宣言し、
19歳の私に
お店の通帳や実印など
ゆわゆる財布を全て渡して
「後はおまえに任せる!」
と言ったきり、
今まで一度も口を挟みませんでした。
子供の頃から
色々と教えてもらってはいたものの、
いざ全部を任されると
右も左も分からず手探り状態でした。
その頃は時代も変わり、
大型店があちこちで出店してきたので、
売り上げも落ちてきました。
私は、経費を見直し、部門ごとの
売り上げと仕入れで検証しました。
細かく分析すると、
利益がほぼ電気代で消えていた
アイスの販売を止めて、
処分品が多い賞味期限が
1週間以内の物の販売を止めて、
と進めて行くうちに
結局、最後に残ったのは
酒類とタバコとお菓子でした。
それでも
酒類免許の自由化によって、
ディスカウントストアーや
大型店が次々出店して、
小売業の将来に希望が持てない状況でした。
ここまで読んだあなたは
「ところで、なんで不動産屋?」
と思うでしょうね(笑)
酒屋は地域の情報を良く知っています。
たとえば、
家を建て替えるお客様に、
知り合いの大家さんを紹介してあげたり、
その他にも、
近所のアパートに住む人に
「この地域が気に入ったから、
この辺りで物件を買いたいんだけど、
あそこのずーっと人が住んでない
空き家の所有者知らない?」
と聞かれて、紹介したり。
しかも全てサービスで。
で、
さすがに売買となると分からないので、
知り合いの不動産屋に
何人もお客様を紹介していました。
ある時、
その不動産屋の社長さんに
「そんなにお客様がいるなら、
自分でやったらいいのに!」って言われて、
「そうか!」
と衝撃が走ったのを
今でも鮮明に覚えています!
手探りでしたが、
まずは宅建の資格取得を目指しました。
当時、私は22歳で、
長男を出産した直後でした。
子供がいて、仕事もして、家事もして。
となると当然学校に通う時間など無く、
夜、子供が寝た後に独学で勉強する毎日でした。
ほどなく、宅建の資格試験に合格し、
「宅地建物取引業」の許可を取得して、
「いざ不動産屋を始めるぞ!」
となったのですが、
そうそう仕事があるはずも無く。
しばらく、
小売業と不動産業の両輪でした。
その頃、
父から受け継いだ借入金総額は
1億円を超えていました。
父は1代目なので、
店舗用地や倉庫用地を次々と買い求めて、
資産もそれなりにありましたが、
借入金もありました。
その全てを引継ぎ、
どうしたら安定した収入。
すなわち返済財源を確保するのか、
一生懸命考えました。
必要ない土地を売却したり、
事務所を賃貸したり、
とにかく当時、
プラスもマイナスも
全ての財産を見直しました。
それと同時に
13区画の土地開発の分譲を手掛けたり、
新築建売を年間に何棟も販売しました。
一方で、
細かい仕事を忘れてはいけない。
と思って
賃貸管理を少しずつ増やしてきました。
今、思えば
良くやったなーと言う内容ですが、
主人と二人三脚で
ここまでこれたと思います。
不動産のプロとして
精進しなければと思い、
勉強をし続けてました。
30代になってから
不動産コンサルティングマスターを取得後、
土地有効活用専門士も取得して、
自社でも不動産投資物件を
次々と増やしてきました。
自社物件は常時満室です!
他の大家さんから
預かっている賃貸管理物件も
今では500件を超えています。
その中で、
満室大家さんと
トラブルだらけの大家さんを
何人も見てきました。
そこには、明らかに違いがあります!
物件では無く、大家さんに問題があるのです!
その違いは具体的に何なのか?
私なりに研究してきました。
それを土屋メソッドとして
大公開していきます!