北条早雲の息子、氏綱は早雲の後見の元、三浦氏を打ち破り、関東支配の足掛かりをつくりました。また、名も北条と改めて世にそれを知らしめ、今川の支配下からも独立、関東支配に名乗りを挙げた意味も込めて、鎌倉鶴岡八幡宮の再建に従事します。そして、江戸城、川越城を攻略、宿敵里見氏も討ち果たして、さらなる領国の拡大を図っていったのでした。
氏綱が家督を譲ることを考え始めた時分、息子氏康の評価は対外的にもあまり良いものだったとは言えず、弟の幻庵も軍事・政治両面において優れた手腕を発揮していましたし、地黄八幡と称され、北条家隋一の猛将として恐れられた氏綱の懐刀、綱成も玉縄城主として玉縄衆を率い、次々に戦功を上げていました。しかしそれでも、氏綱は彼らに家督を託すことはせず、ひたすら息子氏康の成長を信じるのです。『其方儀、万事我等より生れ勝り給ひぬと見付候得ハ』、お前は生まれながらにしてあらゆることに関して私よりも優れているのだと…。そして、義を重んじ、全ての人に慈しみを持つこと、身の程をわきまえ、領民の生活を圧迫して支持を失うようなことにならない為にも常に倹約を心掛けること、勝利しても驕らず、決して相手を侮ることのないようにと、五箇条の御書置とともに北条家の未来を氏康の手に託したのでした。氏康もその父の願いによく応え、関東に名を馳せる名将として成長を遂げていきます。そして、川越夜戦での見事な逆転勝利、歴代北条家当主として最も大きな領土を支配するに至ったのでした。
北条氏綱 五箇条の御書置
義に違ひては、たとひ一国二国切取りたりといふ共、後代の恥辱いかが。
天運尽きはて滅亡を致すとも、義理違へまじきと心得なば、末世にうしろ指をささるる恥辱はあるまじく候。
昔より天下をしろしめす上とても、一度は滅亡の期あり。
人の命はわずかの間なれば、むさき心底、努力あるべからず。
古き物語を聞ても、義を守りての滅亡と、義を捨てての栄花とは、天地各別にて候。
大将の心底、たしかに斯くの如くんば、諸侍義理を思はん。
其の上、無道の働きにて利を得たる者、天罰終ひに遁れ難し。
一、侍中より地下人・百姓等に至るまで、何れも不便 に存せらるべく候。
すべて人に捨りたる者はこれなく候。
器量・骨柄・弁舌・才覚人に勝れたる、然も文道に達し、天晴れ能き侍と見る所に、おもひの外か武勇無調法の者あり。
又何事も無案内にて、人のゆるしたるうつけ者に、武道に於いては剛強の働する者あり。
たとひ片輪なる者なりとも、用ひ様にて重宝に成る事多ければ、一人も捨りたる者あるまじきなり。
その者の役に立つ所をば遣ひ、役に立たざる所をば遣わずして、何れをも用に立て候を能き大将と申すなり。
此の者は一向の役に立ざるうつけ者よと見限りはて候事は、大将の心には浅ましき狭き心なり。
一国をも持ちたる大将の下には、善人も悪人も何程かあらん。
うつけ者とても罪科の無き内には、刑罰を加へ難し。
侍中に我身は大将の御見限りなされ候と存じ候へば、勇みの心なく、誠のうつけ者となりて役に立ず。
大将は如何なる人をも不便に思し召しぞと、諸人に普ねく知らせ度事なり。
皆々役に立たんも、又た立つまじきも大将の心にあり。
上代とても賢人は稀なるものなれば、末世には猶ほ以てあるまじきものなり。
大将にも充分の人はなければ、見誤り何程かあらん。
たとへば能く一番興行するに、太夫に笛を吹かせ鼓打に舞はせては見物成り難く、太夫に舞はせ、笛鼓それぞれに申付け候は、其人をもかへず、同じ役者にて能く一番成就す。
国持大将の侍召遣ふ事、亦た斯くの如くに候。
罪科の有る輩者は格別、小身衆には少し用捨あるべき事か。
すべて人に捨りたる者はこれなく候。
器量・骨柄・弁舌・才覚人に勝れたる、然も文道に達し、天晴れ能き侍と見る所に、おもひの外か武勇無調法の者あり。
又何事も無案内にて、人のゆるしたるうつけ者に、武道に於いては剛強の働する者あり。
たとひ片輪なる者なりとも、用ひ様にて重宝に成る事多ければ、一人も捨りたる者あるまじきなり。
その者の役に立つ所をば遣ひ、役に立たざる所をば遣わずして、何れをも用に立て候を能き大将と申すなり。
此の者は一向の役に立ざるうつけ者よと見限りはて候事は、大将の心には浅ましき狭き心なり。
一国をも持ちたる大将の下には、善人も悪人も何程かあらん。
うつけ者とても罪科の無き内には、刑罰を加へ難し。
侍中に我身は大将の御見限りなされ候と存じ候へば、勇みの心なく、誠のうつけ者となりて役に立ず。
大将は如何なる人をも不便に思し召しぞと、諸人に普ねく知らせ度事なり。
皆々役に立たんも、又た立つまじきも大将の心にあり。
上代とても賢人は稀なるものなれば、末世には猶ほ以てあるまじきものなり。
大将にも充分の人はなければ、見誤り何程かあらん。
たとへば能く一番興行するに、太夫に笛を吹かせ鼓打に舞はせては見物成り難く、太夫に舞はせ、笛鼓それぞれに申付け候は、其人をもかへず、同じ役者にて能く一番成就す。
国持大将の侍召遣ふ事、亦た斯くの如くに候。
罪科の有る輩者は格別、小身衆には少し用捨あるべき事か。
一、侍は矯らず諂らはず、其の身の分限を守るをよしとす。
たとえば五百貫の分限にて千貫の真似をするものは、多分はこれ手苦労 者なり。
其の故は人の分限は天より降るにあらず、地より涌くにもあらず。
知行損亡の事あり、軍役多年あり、火災に逢ふ者あり、親類眷属多き者あり、此の中一色にても其の身にふり来らば、千貫の分限は九百貫にも八百貫にもならん。
然るに斯様のものは、百姓に無理なる役儀をかくるか、商売の利潤か、町人を迷惑さするか、博奕上手にて勝取るか、如何にも出処あるべきなり。
此の者出頭人へ音物を遣はし、能々 手苦労を致すに、附家老共目がくれ、これこそ忠節人よと賞むれば、大将も五百貫の所領にて千貫の侍を召仕候と、目見へよく成り申し候。
左候へば、家中斯様の風儀を大将は御好き候とて、花麗を好み、何卒大身の真似をせむとする故、借銀重なり、内証次第につまり、町人百姓をたおし、後は博奕に心を寄せ候。
左もなき輩は、衣裳麁相 なれば此度の出仕は如何、人馬小勢にて見苦しき候得ば此の御供は如何、大将の思召も傍輩 の見分も何とか思へども、町人百姓をたおし候事も、商売の利潤も博奕の勝負も無調法なれば、是非なく虚病 を構へまかり出でず候。
左候へば、出仕の侍次第々々にすくなく、地下百姓も相応に花麗を好み、其の上侍中にたおされ家を明け、田畑を捨てて他国へ逃走り、残る百姓は何事ぞあれかし、給人に思ひ知らせんとたくむ故、国中悉 く貧にして大将の鉾先 弱し。
当時上杉殿の家中の風儀此の如く候。
よくよく心得らるべし。
或は他人の財を請取り、或は親類縁者少く、又た天然の福人も有りと聞く。
斯様の輩は五百貫にても六七百貫の真似は成べきなり。
千貫の真似は手苦労なくては覚束 なく候。
去ながら、是等も分限を守りたるよりは劣りと存せらるべく候。
貧なる者真似せば又々件の風儀に成るべければなり。
たとえば五百貫の分限にて千貫の真似をするものは、多分はこれ
其の故は人の分限は天より降るにあらず、地より涌くにもあらず。
知行損亡の事あり、軍役多年あり、火災に逢ふ者あり、親類眷属多き者あり、此の中一色にても其の身にふり来らば、千貫の分限は九百貫にも八百貫にもならん。
然るに斯様のものは、百姓に無理なる役儀をかくるか、商売の利潤か、町人を迷惑さするか、博奕上手にて勝取るか、如何にも出処あるべきなり。
此の者出頭人へ音物を遣はし、
左候へば、家中斯様の風儀を大将は御好き候とて、花麗を好み、何卒大身の真似をせむとする故、借銀重なり、内証次第につまり、町人百姓をたおし、後は博奕に心を寄せ候。
左もなき輩は、衣裳
左候へば、出仕の侍次第々々にすくなく、地下百姓も相応に花麗を好み、其の上侍中にたおされ家を明け、田畑を捨てて他国へ逃走り、残る百姓は何事ぞあれかし、給人に思ひ知らせんとたくむ故、国中
当時上杉殿の家中の風儀此の如く候。
よくよく心得らるべし。
或は他人の財を請取り、或は親類縁者少く、又た天然の福人も有りと聞く。
斯様の輩は五百貫にても六七百貫の真似は成べきなり。
千貫の真似は手苦労なくては
去ながら、是等も分限を守りたるよりは劣りと存せらるべく候。
貧なる者真似せば又々件の風儀に成るべければなり。
一、万事倹約を守るべし。
花麗を好む時は下民を貪らざれば出る所なし。
倹約を守る時は下民を痛めず。
侍中より地下人・百姓迄も富貴なる時は、大将の鉾先強くして合戦勝利疑ひなし。
亡父入道殿は小身より天然の福人と世間に申候。
さこそ天道の冥加にて之れ有るべく候得共、第一は倹約を守り、花麗を好み給はざる故なり。
惣 て侍は古風なるをよしとす。
当世風を好むは是れ軽薄者なりと常々申せ給ひぬ。
花麗を好む時は下民を貪らざれば出る所なし。
倹約を守る時は下民を痛めず。
侍中より地下人・百姓迄も富貴なる時は、大将の鉾先強くして合戦勝利疑ひなし。
亡父入道殿は小身より天然の福人と世間に申候。
さこそ天道の冥加にて之れ有るべく候得共、第一は倹約を守り、花麗を好み給はざる故なり。
当世風を好むは是れ軽薄者なりと常々申せ給ひぬ。
一、手際なる合戦にて夥 敷 き勝利を得る時は、驕りの心出で来り、敵を侮り或ひは不行儀なる事必ずある事なり。
慎むべし。
此の如く候て滅亡の家、古より多し。
此の心万事に渉る。
勝つて冑の緒を締よといふ古語、忘れ給ふべからず。
慎むべし。
此の如く候て滅亡の家、古より多し。
此の心万事に渉る。
勝つて冑の緒を締よといふ古語、忘れ給ふべからず。
参考HP:『古今名言集~座右の銘にすべき言葉~』