土方歳三の足跡を辿るー会津若松 鶴ヶ城近くのカフェ『西遊館』ー | 徒然探訪録

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▲鶴ヶ城近くの『西遊館』

レトロな雰囲気で落ち着ける店内です。


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心太を注文したところ、酢醤油に辛子、一本箸で提供されました。
一本箸を初めて見たので、『西遊館』の店員さんに伺ったところ、
理由は定かではないけれど、一本箸で提供するのが会津流のおもてなしなのだとか。


 私は酢醤油に辛子でいただくところてんが好きですが、大阪や奈良、京都では黒蜜をかけて食べることが多いようです。また、福島の他にも名古屋や新潟では一本箸でところてんを食べているようでした。

 ところてんを一本箸で食べるようになったのには、いくつか説があり、一つは戦中や戦後間もない頃はお箸も貴重品で、東京の某お店では人数分のお箸を揃えることが出来ず、お箸一本で食べるのが江戸っ子の粋な食べ方だとして、一本箸でところてんを提供したのが始まりだとしたもの、もうひとつには昔弘法大師が諸国行脚の際、手にしていた一本杖でついたところから清水や温泉が湧き出し、その湧き水を使ってところてんが作られるということが全国に広まって弘法大師の一本杖にあやかってところてんを一本箸で食す風習が生まれたという説もあります。また、江戸時代においてところてんは高級菓子として扱われており、和菓子は黒文字という楊枝で食べるものであったことから、黒文字が一本箸に置きかえられたというものがあります。

 ところてんや一本箸について色々検索するうち、『百楽天の百花繚乱書院』というブログに興味深い記事を見つけました。江戸時代の風俗、事物について書かれた『守貞謾稿』によれば、「心太、ところてんと訓ず。三都とも、夏月之を売る。蓋し、京坂、心太を晒したるを水飩と号く。心太一箇一文、水飩二文、買うて後に砂糟をかけ、或は醤油をかけ之を食す。京坂は醤油を用ひず」 とあって、昔はところてんはまずは何もかけずに提供され、京や大阪では醤油をかけず砂糖をかけて食べており、江戸では醤油派も砂糖派もいたようです。江戸で醤油が普及する江戸中期まではところてんは酢や芥子酢で食べられており、醤油の普及により醤油で食べられるようになったそうです。醤油をベースにした液体調味料の総称が醤油だったため、酢醤油もその中に含まれることになるので、江戸時代、酢醤油でもところてんを食べていたと言えそうです。関東で酢醤油がポピュラーなのは、江戸でのこの風習が最も定着しているからなのではないでしょうか。
 ところてんを一本箸で食べる風習についても、こちらのブログに興味深い記事を発見しました。安政元年(1854)の歌川豊国・歌川広重による『當盛六花撰 紫陽花』という作品にところてんを持った男性が描かれています。ところてんの器と一緒に描かれているのは黒文字(和菓子用の楊枝)で、この男性はところてんを和スイーツのように食していることが伺えます。ところてんに砂糖をかけて食するスタイルは、江戸ではあんみつやみつまめに、関西では黒蜜をかける風習へと転じていったようです。会津の『西遊館』は和菓子老舗の茶房でしたので、和菓子を食べる時に使われる黒文字にかえて一本箸でところてんを提供されてきたのかもしれません。茶席で使われる黒文字は、懐紙に包んで持ち帰り、楊枝の裏に日付や茶会の場所、菓子の銘などを記入し、記念にするそうです。ところてんをいただいた一本箸は持ち帰ることが出来ませんでしたが、一本箸に込められた会津の人たちの温かなおもてなしの心を深く感じられたように思います。