駅前の広場にはすでに横断幕が張られ、街中にはのぼり旗も立てられていました。
板橋宿の本陣跡です。近藤は4月4日、夜8時頃板橋に入り、尋問を受けることになりました。この時、近藤は大久保大和と名乗っていましたが、油小路の一件で辛酸をなめた御陵衛士の生き残りも官軍の探索方となって板橋宿におり、彼らの面通しで近藤本人だと正体が知れ、捕縛されてしまいます。
今では『飯田不動産』の脇に碑が残るのみです。
板橋宿本陣跡周辺の景色。
板橋宿脇本陣、豊田市右衛門屋敷跡に建てられた碑。近藤はこちらの屋敷で、足枷をはめられ、監禁されていたと言います。この時、大久保、勝、土方からの近藤宛の書翰を届けにきた相馬と流山より近藤に付き添ってきた野村も捕縛され、別室に監禁されていました。豊田家の近藤に対する評価は非常に高く、監禁されてはいたものの、豊田家の人々は近藤に対して親切に温かく接していたようです。豊田家の娘、とみも近藤によくなつき、近藤が監禁されていた牢にも度々訪れ、親しんでいたと言います。近藤ももうきっと会えないであろう自分の子と、とみの姿を重ねていたのかもしれません。
今ではマンションが建てられています。
『花の湯』という銭湯が目印になります。
『花の湯』の隣の細い路地に入ると、すぐ左手に脇本陣跡の碑が見えてきます。
脇本陣から街道に戻り、少し歩くと『遍照寺』があります。『遍照寺』の境内は宿場時代の馬つなぎ場だったそうです。寛永10(1798)年建立の馬頭観音と駅馬模型が残されています。近藤が板橋に連行されてきた時にもあったのですね。
さらに歩くと『観明寺』が見えてきます。
『観明寺』には寛文時代の庚申塔があります。こちらも近藤が板橋に連行されてくる以前からあったものです。
『板橋宿』周辺の景色。
滝野川7丁目付近の景色。近藤の処刑場所となった平尾一里塚があったあたりです。当時は馬捨て場として使われていたと言います。近藤の処刑が行われたのは、処刑場として公認されている場所ではなく、馬捨て場だったのです。板橋処刑場というのは存在しません。近藤の名誉のために後世の人々がこの地を処刑場と扱ったのでしょう。
このマンションの裏手に『馬頭観音』が祀られていました。
馬頭観音は馬捨て場などに祀られることが多いそうです。
新選組供養塔のある『寿徳寺境外墓地』はJR埼京線板橋駅からすぐそこにあります。
墓所内は現在このようになっています。
この供養塔の建立に奔走した永倉新八の墓もこの地に建てられました。この供養塔の建立にあたり、斉藤一も出資したと言います。
近藤勇像と顕彰碑。
こちらにかかっている新選組仕様の絵馬はお隣の喫茶店『しゃとう』にて販売されているようでした。
近藤が最後の夜を過ごしたと言われる石川家に伝わる話では、石川家の人々が近藤の遺体を引き取り、この下に埋葬したとのことですが、遺族により龍源寺に埋葬されたという説が本来のようです。
▲『新選組隊士供養塔』
▲この境外墓地の真横にある喫茶店『しゃとう』
近藤勇にちなんだ和風スイーツも提供しています。この張り紙にある『新選組と近藤勇文集』は今は『しゃとう』では品切れで、『寿徳寺』さんのHPから通販が可能とのことでした。
店内。窓際に座れば『新選組供養塔』や『永倉新八墓碑』を見ながら、彼らに想いを馳せることが出来るかもしれません。
『しゃとう』のランチメニュー。おすすめはDの和定食¥880です。
この日のD和定食は、牛肉コロッケ、ほうれん草のおひたし、なすのそぼろ煮、納豆、チーズ入り竹輪の天ぷら、冷や奴、漬物、ふりかけ、お味噌汁でした。ボリュームもかなりあって、街歩きをする日のランチにはピッタリではないかと思います。10:00~22:00営業。
『しゃとう』で提供されている、近藤勇にちなんだ和スイーツ、『イサミあんみつ』¥530。
『滝野川新選組まつり』はJR板橋駅東口駅前広場にて明日4月28日(日)、10:30~18:00まで開催しております。
明日ご予定が空いている新選組フリークはぜひお立ち寄り下さいませ

▲板橋区観光協会のHPにこのような観光マップがあります。
参考文献:『慶応四年 新撰組 近藤勇始末』あさくらゆう著(崙書房)
参考HP: 『新選組! のおと』