土方歳三の足跡を辿るー上三川・宇都宮①ー | 徒然探訪録

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ドライブがてら上三川の『満福寺』に行ってきました。宇都宮城攻防戦の際、土方歳三の所属した旧幕府陸軍が宿陣したと伝えられている場所です。


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門をくぐるとさらに『赤門』があり、桜の木が植えられていました。お隣の畑には菜の花が咲いています。


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境内で写真を撮っていたら、本堂の引き戸が開いて、御住職の奥様が声を掛けて下さいました。
奥様は四季折々、この満福寺のお写真を撮影されていて、それらを見せて下さったんです。特に『赤門』のある景色がお気に入りとのことで、お写真をプリントアウトしたものをいただきました。この写真がそうなのですが、こちらは秋、境内の大銀杏が色付いて黄色の絨毯が敷き詰められた時を写したものです。こういったものを拝見しますと、私のような者は季節ごと訪れたくなってしまいます。


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こちらの写真は、冬、雪の降った朝に撮影されたものです。早朝寒い中起きて撮影するのは大変だけれど、早くに撮影しなければ雪が解けてしまうからと旦那様が起こして下さるそうで、素敵なご夫婦ですよね。朝日が昇る頃、夕暮れに日が落ちて行く時間なども綺麗で、会社帰りに撮影に立ち寄る方もいらっしゃるそうです。本堂に入れて下さり、色々貴重なお話を伺うことが出来ました。


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地方紙の記事など、土方歳三関連の資料も用意して下さっていて、そちらもいただいてまいりました。


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旧幕府軍はこの『満福寺』で黒羽藩士を斬首しました。黒羽藩は前藩主大関増裕が海軍総裁兼若年寄を務め、勝海舟とも親交がある佐幕派でしたが、増裕死後は勤皇に転じていたのです。これを裏切りとされ、見せしめの処刑だったのではないかと思われます。明治百年史記録と書かれたこのコピーには、『時に官軍宇都宮焼打遠く会津北伐の途 参謀秋月帯刀公爵当寺本堂と本陣にて(今の本堂内学問所)下知総攻撃』とあり、斬首された三名の黒羽藩士の名前(こちらには左記三士自刃となっています)と墓所が書いてあります。


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宇都宮城攻防戦に布陣した旧幕府陸軍の隊士名簿。名簿といいますか、どんな隊に何人所属していたかというようなことが書いてあります。


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秋月登之助と内藤隼人こと土方歳三の名前があります。


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境内には大きな銀杏の木があります。土方歳三を主人公にした小説を書いている女性が訪れ、小説の中でこの大銀杏を土方歳三も見ていたのではないかと書いたと伺いました。北海道は土方歳三の終焉の地でもありますが、北海道でお店を開いている某店のご店主が土方歳三が大好きで、お店の名前も彼の名前にちなんでつけたそうで、土方歳三に縁の深い木ということで、満福寺さんからそのご店主へこの大銀杏の実を贈ったそうです。日野新選組同好会や宇都宮新選組同好会の方たちもしばしば訪問されていらっしゃるようで、訪問された方たちを写したものや、ご自身もだんだらの羽織を羽織って一緒に撮ったその時のお写真が本堂に大切そうに飾られていました。宇都宮新選組同好会の方にも『ひの新選組まつり』で『ミスター土方』を務めた方がいらっしゃり、奥様はそれを取り上げた新聞記事や訪問時の写真を大切そうに飾っていらっしゃいましたが、お忙しいようで、最近は訪問が少ないことを少し寂しそうにお話されていました。土方歳三という人を介して、150年経った今でもまだ新しい人との出会いや繋がりが広がっていくことを、このようなお話をして下さった奥様は好意的に受けとめ、訪れた人たちをおもてなしして下さっているのだなと感じました。


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件の銀杏は推定樹齢350年ということですから、土方歳三もきっと目にしていたことでしょう。


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戦時中には早稲田小学校の生徒たちが学童疎開をしていたそうです。彼らが疎開を終えて戻るときに残していった寄せ書きも大切に残されています。小学生の書いたようには見えない立派な文字です。


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寄せ書きの他に、満福寺を描いた絵もお礼として置いて行ったそうです。当時、絵具はとても高価なもので、このお寺では用意出来なかったそうですが、ここに疎開していたのは、裕福な家庭の子どもたちでしたので、東京の実家から絵具を取り寄せて、これを描いてくれたそうです。当時はサッシもないから子どもたちが寝泊まりしていた本堂も隙間風やら何やらで寒かっただろうし、お手伝いさんがついているような子どもたちが、突然親元から離れて生活するのはとても辛いことだったのじゃないかしらともおっしゃっていました。


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それでも、境内には早稲田小学校疎開の地と記念碑が建てられ、その時ここに疎開した方たちが昔を懐かしんで訪れることもしばしばあるそうです。その方たちのお写真や寄せ書きも大切に飾られていました。その当時、疎開していた子どもたちも礼儀正しく振る舞い、満福寺さんの方でもそんな彼らを温かく迎え入れていたからこそなのではないかと思います。満福寺を訪れた人たちの名前を残したノートがあり、奥様が私にも名前を書いていってとおっしゃって下さったので、皆さんのお名前に交じって私も書かせていただきました。色々な出会いや繋がり、『ご縁』をとても大切にされていることが覗えます。


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本堂の装飾や欄間の彫刻、柱などは当時からのものだそうです。


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柱は一見新しく見えますが、古い柱を新しい木でコーティングするような修繕方法をとっているとのことでした。この中は真っ黒なケヤキの木なんだそうです。昔は境内にもケヤキの木があったとおっしゃっていました。


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欄間の彫刻は修繕にきた大工さんがクリーニングしようとしたところ、表面がパラパラと剥がれ落ちそうになってしまったので、やめてもらったそうです。


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シニアの社会人大学に通われている生徒さんが新選組が大好きで、土方歳三が宿陣したお寺ということで、ぜひこちらに置いて欲しいとお持ちになられたものだと伺いました。夜になるときちんと下げて、毎朝出していらっしゃるのだそうです。


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こちらは土方歳三たちが軍議をしたと伝えられている部屋です。軍議をしている体で写真を撮るファンの方もいるとかにひひ
一緒写っている米袋は檀家さんから寄進されたものだそうです。


今回は何も持たずお伺いしてしまったので、今度は地元の美味しい銘菓でも持って伺いたいと思います。きっと今年も季節ごと素敵なお写真を撮られると思うので、そちらを拝見させていただきながら楽しくお話したり、一緒に大銀杏が黄色く色付いたのを眺めたり、写真を撮ったり出来たらとても嬉しいです。