土方歳三は江戸での奉公を終えた後、家伝であった『石田散薬』の行商をしながら、剣術の稽古に励んでいたと言います。『石田散薬』の販売範囲や得意先を記載した『村順帳』にも『谷保』という地名を見ることが出来ます。また、この谷保には土方家と遠戚関係にある漢方医の本田覚庵が住んでおり、土方歳三は覚庵から米庵流の書を学んだとも言われ、度々本田家を訪れていたことが覚庵の日記にも記されています。
谷保天満宮を右手に見ながら、甲州街道を直進すると左手に本田家が見えてきます。
土方歳三は25歳の春、正式に天然理心流に入門しました。近藤周助が大国魂神社に天然理心流の奉納額を納める際にも、覚庵は土方を通じて献額の文字の揮毫を依頼されています。29歳の春、浪士組への参加を決める頃まで、土方は度々覚庵の元を訪れ、時には宿泊したこともあったようです。
参考文献:『子孫が語る土方歳三』(新人物往来社)土方愛著
『土方歳三日記 上』(筑摩書房)菊池明編著