谷保天満宮にも梅が咲いていました。
▲境内
これは境内から参道を見た景色なのですが、社殿が参道よりも低地に鎮座しているという特異な形式をとっています。参道にある説明板には『甲州街道は十七世紀にある時期まで、谷保のあたりでは立川段丘の下を通っていましたので、天満宮の本殿・拝殿は街道に面し、南向きに建てられています。甲州街道が段丘上を通るようになると、人の流れも変わり、参道は駅や甲州街道側からこの鎮守の森を抜け、本殿に向かうようになりました。』とあります。
『谷保天満宮』にはチャボの姿が多く見られました。数十年前、秋の例大祭で奉納される古式獅子舞の装束用の羽を調達するため、様々な鳥を飼い始めたのが始まりでしたが、結局どの鳥の羽根も形が合わず、外国から羽を調達したそうです。その後全ての鳥は放されましたが、なぜかチャボだけが残り、今も棲息し続けているとのことです。
『谷保天満宮』にも梅園があり、約350本の梅が点在しています。
今年は3月2日(土)、3日(日)に『梅まつり』が開催されました。
こちらに祀られている学問の神様として有名な菅原道真公が梅の花を愛したことから、梅の花を神殿に供え、この梅林で野点や筝の演奏会が催されます。
『美しや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある』
菅公が5歳の折に詠まれた和歌だそうです。
土方歳三は多摩時代、俳句や書などの手習いも一通りしており、書の先生である本田覚庵の家にも通ったそうですが、この本田家は『谷保天満宮』から歩いて15分もあるかないかというところにあります。本田家に通った折、この『谷保天満宮』まで足を伸ばし、立ち寄ったこともあったかもしれません。
参考HP:『タチカワオンライン』
参考文献:『子孫が語る土方歳三』(新人物往来社) 土方愛著