江戸七不思議で一番著名なのはやはりこの本所。
■置いてけ堀
本所のある堀で釣りをしていると,釣れるは釣れるは。釣りに夢中になってふと気が付くともう夕暮れ。腰しに付けた魚籠もいっぱいになったので帰ろうとすると堀の中から「置いてけ 、置いてけ」と声がしたのでびっくり。夢中で逃げてきたが、気が付くと魚籠はからっぽになっているとのこと。
本所一帯は堀割りが多く、 格好の釣り場であった。 ある日ふたりで釣りに出かけると、 どういうわけか その日はよく釣れる。夢中になりすぎて気がつくと、日も暮れかかりあたりは闇に包まれはじめていた。 さて、暗くならないうちに帰ろうとすると、 水の中から「おいてけ~... おいてけ~...」という声が聞こえる。 ひとりは驚いて、釣った魚を全部投げ捨てて逃げ帰ってきた。 ところが、もう一人は釣った魚をもって逃げようと したので、あっという間に掘の中に引きずり込まれてしまったのだとか…。
逃げ帰ってきて、自宅のカメに魚を入れて置いたが翌朝見ると1匹もおらず、回りには鱗だけが残っていたというバージョンもあります。
本所のある堀の近くの旗本屋敷で、往来の者を屋敷に引きずり込みいかさま博打をして、身ぐるみはがして置いていかせる。
細川若狭守下屋敷の中間部屋で開かれる博打で、 長兵衛は負けて帰ってきた。町奉行の手が及ばないので盛んに賭場が開かれた。負けて裸になった者は尻切れ半纏が支給された。見れば直ぐに負けて帰ってきた事が分かった。
いろいろな語り口がありますが、その主なものを挙げてみました。
■狸囃子(馬鹿ばやし)
たんぼに稲が重く穂をたれる頃になると,本所では夜風にのって,あちらこちらから狸ばやしがきこえて。 聞こえる方に行けども行けども狸は見つからない。 すすきの原で,みんな狸に化かされたという話。
本所の人が夜半にめざめて耳をすますと、遠くあるいは近くから、おはやしの音が聞こえてくるが、どこから聞こえてくるのかわからない。
どこから聞こえてくるのか確かめようと外に出て、お囃子の音を追いかけていくと、音はどんどん遠くなっていき、気がつくと、とんでもない時間になっていて、とんでもない所にまで来てしまっている。
■送り提灯
夜に本所出村町辺りを提灯も持たずに歩っていると、月が隠れて真っ暗になってしまった。 いつのまにか前方に提灯の灯が現われる。夜ふけのこと、よき道づれと近寄るとパッと消え、また前方に現れる。いつまで行っても追いつけない。 朝になって気がつくと、 そこにはただ葦の原が広がっているばかりであった。
夜道を歩いて帰る途中、道に迷ってしまった。 途方にくれていると、何やら遠くの方でちらちらと灯りがついたり消えたりするのが見える。 家があるのかとおもって近づいていくと、 ふッと消えてしまう。不思議におもっているとまた灯りが見える。 近づこうとするとまたふっと消えてしまう。
■落葉無き椎の木
大川端に大名の松浦家の上屋敷があって大きな大きな椎の木が塀にそって立っていた。 が,誰も葉っぱの落ちたのをみたことがなかったそうだ。 その下には、「ただの一枚も」落ち葉が無かった。
後日談;このことがすっかり有名になり、松浦家は「椎の木屋敷」と呼ばれるようにな った。椎の木は常緑樹で、もともと落ち葉は少ないが、当家でも気味悪がってこの屋敷をあまり使わなかったと言います。 しかし、この椎の木は銘木で、吉原通いの舟人達にはその風景が良かったので『椎の木は殿様よりも名が高し』と川柳にも詠まれた。
■津軽屋敷の太鼓
津軽屋敷の火の見櫓の板木は太鼓の音がする。
今の両国駅の近くに、津軽家という家があった。 昔から火事を知らせるために大名家の火の見櫓では版木を打つのだが、太鼓を打つことができるのは津軽家だけと決まっていた。 なぜ津軽家だけがその太鼓を打つことを許されていたのか、その理由は誰も知らない。 また、その太鼓は時を告げるための太鼓でもあったともいわれている。
■片葉の葦
本所藤代町の南側から両国橋の広小路に渡る駒止橋の下を流れる隅田川の入堀に”あし”が生い繁っていたが、そのあしの葉は不思議なことにすべて一方だけ生えて片葉となっていたという。
亀沢町に住んでいたお駒という美しい娘がならず者の留蔵に目をつけられた。ある日母親の用事で出かけたお駒が、葦の生いしげる堀にそった道を帰る途中、留蔵がせまって逃げるお駒の後ろからあいくちで刺し殺し、堀に沈めた。そんなことがあってから、この堀に生える葦はどうしたことか,片っ方より葉のない片葉の葦ばかりとなった。 留蔵はやがて狂い死していまった。
その昔、留蔵というならず者が、お駒という娘に惚れていた。しかし、お駒は彼になびかず、怒った留蔵は、お駒を殺し、片手片足を切り落として、堀に投げ込んだ。それ以来、ここには片葉の葦が生えるようになったとか。
■消えずの行灯・燈無蕎麦
本所南割下水付近を流して歩く屋台の蕎麦屋はいつも明かりが消えず、近づくと屋台ごと遠のく。
冬の寒い深夜、震えながら歩いていると向こうに蕎麦屋の屋台の灯が見える。近づいてみると無人で、待ってみても誰も現われない。行灯の火を消すと凶事が起こるとも言われている。
「夜、二八そばの屋台が出ているのだが、いつ行っても誰もいない。しかし、行灯の明かりだけはついていて、いつまでたっても消える気配はなく、いつ油をさしているのかもわからない。」
夜道を家に帰る途中、腹がへってきた。 ふと気がつくと、灯りもつけずにいる屋台の二八そば屋がある。 不思議に思って近づいてみると、 お湯が沸いて器が並べてあるのにそば屋の主人がいない。 気をきかせてあんどんに灯をともして主人を呼ぼうとすると、 風もないのにスーッと火が消えてしまう。 再び火をつけようとすると、また スーッと消えてしまう。 気味が悪くなって急いで家に帰ってきたが、 その後は必ず凶事が起こったという。
■送り拍子木
入江町の時の鐘は、大横川沿い北辻橋近くにありましたが、この鐘近くで夜回りをしていると、どこからともなく拍子木のカチカチという音が聞こえてきた。
夜回りの拍子木の音があちらこちらから聞こえてくる。
■足洗い屋敷
両国のあたりに「足洗い屋敷」という大きな屋敷があった。 その屋敷では、深夜になると突然「足をあらえ~」 といって大きな血まみれの足が天井から降りてくる。 屋敷中の下女が集まってきれいに足を洗ってやると、 そのまま天井裏へ帰っていく。 ところが、そのまま足を洗わずにいると、 夜が明けるまで屋敷中を暴れ回ったとのこと。
本所三笠町の味野岌之助(あじのきゅうのすけ)という幕府旗本の屋敷では毎晩不思議なことが起こった。なまぐさい風が吹きぬけたかと思うと、激しく家鳴りがする。しばらくして、天井から「メリメリ」「バリバリ」と大きな音が聞こえる。その音と同時に、血にまみれた、大きな毛むくじゃらな足がニョッキリと現れ、吠えるような声で「足を洗え!」とどなる。血のついた足をきれいに洗ってやると足はおとなしく天井へ消えていく。毎夜現れる足を洗っていたので、この屋敷をいつの間にか「足洗い屋敷」と呼ぶようになったそうです。
本家本元と言われる本所七不思議は前述の霊厳島、馬喰町、八丁堀に比べれば、治世に対する揶揄よりも、いわゆる『怪談』や、少し陰惨で事件性が高いもので構成されていることに特徴があると言えるでしょう。『片葉の葦』などは今でいうストーカー殺人であり、極めて現代的な犯罪の発端の記録とも言えます。
江戸という町の本質を垣間見せてくれているようで、大変興味を引かれるところでもありました。
参考文献:すみだ郷土文化資料館編纂 隅田川の伝説と歴史』(東京堂出版)