春雨の候桜華舞落つー沖田総司散華の地を巡る④ー | 徒然探訪録

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『沖田総司は、全く痩せ切っていた。
 土のような顔色ではあったが、瞳だけは、昔のようにすがすがしく澄み切って、近藤の顔を見ると、言葉も出せなかった。
 「痩せたなァ」
 「は。先生も、おやつれなさいました」
 「うむ。俺は、心も身体も空蝉のようになっている。ただ土方歳三に引廻されて、辛うじて生きているというものだ。」
 「は、土方先生は相変わらず御元気でしょう」
 「うむ。あれは、疲れというものを知らん。からだの疲れは知っていても心の疲れを知らんから、幸福だ」
 話はいつまでしても尽きなかった。
 沖田は、急に、にこにこッと笑いだして、
「先生、猫というものは斬れぬものですなア」
といった。
「何」
「いいえ、私は、この程、私のすぐ前の植木溜の梅の木の根方に、黒い猫が一匹、横向きにしゃがんでいるのを見て、こ奴を斬ろうとしたんですが、三度やって三度とも失敗しました」
「どうしたのだ?」
「二尺とまで寄らぬ中に、猫は逃げて終うのです。どうしても逃げて終うのです」
「はッはッはッは。猫も命は惜しいからなア。斬る気で近寄ったら逃げるだろう」
「斬る気で近寄ったら?」
「そうさ。はッはッはッは。しかし、何にも猫などを斬らんでもよかろう」
「いい。斬らなくもいいんですが、どうにも癪にさわる面なんです。そして、斬れまい斬れまいと、私を罵っているようなのです」
「は、は。罵ったら罵らせて置くさ。猫なんか、どうだっていいさ」
「え?」
「われわれが、命を投出してあれ程、世の平和のために戦っても、事は忘と、こんなにも違って来る。後世の史家は、俺たちのやった事を、徒らな暴力のようにのみ解するかも知れん。要するに、われわれの潔癖心が、他人にはわからん。斬らでものものは斬るに及ばん、まして猫など。わッはッはッ。沖田、お前も、いい加減、斬り飽きている筈ではないか」
「しかし、逃げるとなると斬り度くなる。斬れぬとなると斬り度くなる」
「いい、いい。然ういう事で気を張るのが、お前には一番毒だ」
と近藤は慰めて、
「あ、沖田、もう、夜も更けた。俺はまたこれから外へ廻らなければならん。これで別れるぞ」
「はっもう、おかえりですか。と言って、おとどめ申したところで、先生が、ここに何時までもお出で下さる訳ではなし
「いいか。あんな訳で甲州へ行って来る。帰って来たら、ゆっくりと、また京の話でもしようなア」
「は」
「だがもし敗け戦になれば、自然、近藤の身をどうなるか知れん。その時はその時の話。いいか、言った通り、中野の成願寺へ行くんだぞ」
「は」
近藤は、内ぶところから、金を出した。
「沖田、恥ずかしいが、たった三両だ」
「え?」
「お前が俺に尽くしてくれた心、勲功、それに対して、今、近藤がお前に酬ゆる三両だ。俺は死ぬいや遅かれ早かれ死ぬからいいが、残ったお前が、その病身でたった三両。俺に百万の金があれば、一文も残さずお前にやりたい。同じ理心流に人となり、寝るも起きるも、止まるも行くも、本日まで何一つ別々の事はなかった。そのお前へ、俺は僅かにこれだけの金より贈り、去ることが出来ぬ。近藤も京で費うたあのお金が、今、ここにあったらなアと、沁々思い出す程に貧乏をしている。許してくれよ沖田」
「要りませぬ、要りませぬ。先生、沖田、お金など要りませぬ。先生が、この雨の中を、このお忙しい中を、お出で下さっただけで、沖田は喜んで死ねるのです。沖田は、何時死んでも、笑って、喜んで行けるでしょう」
近藤は、涙を拭った。
「はッはッはッ。沖田」
と、ぐッと傍へ寄って、
「俺もお前も女々しくなったなア。お前は隊中一の軽口の面白い明るい男であったんだぞ」
「先生、これまでは、決して、そのように涙などお見せなさらぬお方でした」
「お互いに本当に女々しくなった」

 近藤は、この隠れ家を出る事は、京の堀川の本陣に、最後の別れをするよりも辛かった。ぐッと後ろ髪を引かれるような思いで、また雨の中を外へ出た。
 沖田は、戸口まで送り出して、
「先生」
といった。だが、その声は涙で近藤にはきこえなかった。』
▲『新選組物語』子母澤寛著(中公文庫)より

この別れから約二ヶ月後、近藤は板橋にて斬首され、沖田はその死を知ることもなくその一ヶ月後に死んだ。死ぬ前日まで近藤の身を案じていたという。

沖田の遺体は新政府軍の監視の目を潜るように、菩提寺である麻布専称寺に夜中こっそりと運ばれて人知れず葬られた。墓石にも『沖田総司』ではなく、『沖田宗治郎』と小さく幼名が刻まれている。勝てば官軍、負ければ賊軍、新選組残党の悲しき最期である。


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▲専称寺。六本木駅A③出口を出、六本木ヒルズを通り越して、六本木通りを左折。すこし歩くと左手に見えてくる。駅から徒歩約10分。

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▲この小さな赤い屋根の下に眠る。沖田の熱烈なファンは多い。余りの過熱振りに参拝は年に一度決められた日のみ、一切の問い合わせも禁止されている。

参考文献:『新選組物語』子母沢寛著(中公文庫)
     『新選組遺聞』子母澤寛著(中公文庫)
     『新選組100話』鈴木亨著(中公文庫)