斎藤一を偲ぶ路ー阿弥陀寺ー | 徒然探訪録

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如来堂で玉砕したかと思われた山口であったが、山口、久米部、池田、志村、河合、吉田、清水の7名はこの後の生存が確認されている。

如来堂から逃げ延びた山口は、清水と行動をともにし、会津藩朱雀隊と合流、その後も会津で戦い続けたが、慶応四年九月二十二日、とうとう会津藩も降伏し、彼も高田藩に身柄を預けられることとなった。『斎藤一事 一瀬伝八』として会津藩家臣の位置づけとされ、降伏者名簿にその名が記されている。

会津藩は、下北半島の斗南藩に移され、彼も同士として命懸けで戦った会津藩士とともに斗南に移住し、苦渋を味わうが、そこで一度目の結婚と離婚、明治七年には東京に出、高木時尾と再婚している。
東京では藤田五郎として警視庁に出仕し、西南戦争にも出征した。明治十年に警部補に就任、その後も警部補、巡査部長を歴任、明治二十四年に退職。
警視庁を退職後は、東京教育博物館の看守を務め、三十二年に東京女子高等師範学校に庶務兼会計係として転職、ここで十年に渡り勤務している。

己の意志を、目の前で窮地に陥っていた会津の人々を、そして家族を守って闘い、生き抜いてきた斎藤であったが、大正四年九月二十八日、ついにその人生の幕を下ろした。享年七十二歳。

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▲本人の遺言により、この福島の地、阿弥陀寺に葬られた。妻の時尾、長男勉らとともに今もここに眠る。

今年も九月二十二日の土曜、十五時よりこの阿弥陀寺で斎藤忌がとり行われる。墓前にかけられた厳重な鎖もこの時ばかりははずされるのだろうか。
彼に恥じない法要が行われるのを切に願う。

阿弥陀寺
住所:福島県会津坂松市七日町4-20
TEL:0242(27)7445
アクセス:ハイカラさん、あかべぇ乗車にて『七日町駅前』及び『阿弥陀寺東』から徒歩すぐ。

まちなか周遊バス ハイカラさん時刻表
七日町駅前発8:10/8:40/9:10/9:40/10:10/10:40/11:10/11:40/12:10/12:40/13:10/13:40/14:10/14:40/15:10/15:40/16:10/16:40/17:10/17:40
阿弥陀寺東発
8:11/8:41/9:11/9:41:/10:11/10:41/11:11/11:41:12:11/12:41/13:11/13:41/14:11/14:41/15:11/15:41/16:11/16:41/17:11/17:41

まちなか周遊バス あかべぇ時刻表
七日町駅前発
9:58/10:21/10:58/11:21/11:58/12:21/12:58/13:21/13:58/14:21/14:58/15:21/15:58/16:21/16:58
阿弥陀寺東発
9:56/10:19/10:56/11:19/11:56/12:19/12:56/13:19/13:56/14:19/14:56/15:19/15:56/16:19/16:56


観光の際には駅前でまちなか周遊バスの一日フリー券を購入されることをお勧めする。時刻表入手が出来るのははもちろんのこと、旧滝沢本陣、白虎隊記念館、飯盛山スロープコンベア、白虎隊伝承館、会津酒造歴史館、鶴ヶ城・麟閣、御薬園、県立博物館、会津武家屋敷、ネパール博物館などでこれを提示すると、団体割引の料金で入館出来る。

七日町付近には土方が宿泊したと伝えられる清水屋跡や会津新選組記念館があるので、時間があったらぜひこちらにも立ち寄りたいところだ。

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▲会津新選組記念館

参考文献:『新選組隊士録』相川司著(新紀元社)
     『ふぃーるどわーく 会津 西』(歳月堂)