■慶応四年の土方の大まかな動き
一月十五日:品川に到着。隊士たちとともに釜屋に宿泊
一月十六日:近藤とともに江戸城登城
二月十二日:上野寛永寺にて徳川慶喜の護衛
この頃から新選組の洋式化をはかる。
三月六日:勝沼の戦い
三月十一日:永倉・原田 新選組離脱
三月十五日:金子邸に入る
四月二日:流山に布陣
四月三日:近藤、新政府に出頭
綾瀬駅西口を出てすぐ左折、駅前のアーケード街に沿って歩く。漢方薬局ふくろう堂のある角を右折、少し歩くと右手に『大室家』が見えてくる。駅から歩いて五分くらいのところである。

▲大室家。この周辺を支配していた代官、佐々井半十郎に新選組屯所についての報告書を送ったのが、ここに住んでいた五兵衛新田役人の大室源右衛門と言われている。
大室家から駅と反対方向に前進、次の路地を右折して五分ほど歩くと観音寺が見えてくる。


▲改装中らしく、拝観は遠慮した方が良さそうだ。
観音寺のある路地を出、橋の下をくぐって少し歩くと、右手に大きな屋敷が見える。金子邸だ。観音寺から歩いて五分程のところにある。


▲金子邸
金子邸から一番近くにある橋に上がると、五兵衛新橋と札がかかっていて、当時の地名がしのばれる。


▲綾瀬川では土方が釣りをしたとも伝えられている。
慶応4年3月13日に新選組隊士48名が、14日には近藤も、一日遅れて15日には土方が綾瀬入りし、最終的には19日間に渡って総勢約300名がこのあたりに分宿したという。
所要時間:約一時間