新撰組残照の地流山を歩く② | 徒然探訪録

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流山で自軍を守るため、出頭した近藤を送り出した土方。土方はこの流山事件の翌日には勝海舟らに面会して、近藤の救出を依頼しています。だが、勝は江戸城を無血開城したい。新政府軍に警戒される動きは取りたくなかった。旧幕府軍には脱走よろしく江戸から離れて欲しいというのが本音でした。土方がいくら嘆願したところで、近藤救出の動きなど取れる筈もありません。

土方は旧幕府軍に合流、宇都宮城の攻防を経て、会津へ。

会津では療養中の土方に代わって斎藤が新撰組を率いて戦いました。

新政府軍による母成峠への攻撃、総崩れになる旧幕府軍。

それでも斎藤は会津に残るのだと言います。会津で袂を分かつ土方、斎藤。

斎藤はその後も会津で残兵を率いて如来堂に布陣しましたが、玉砕、遁走。

土方は、庄内、米沢、と北上しながら転戦を続け、最後の砦とも言える五稜郭へ入城、二股口の攻防を経、一本木関門への出陣。ここで、35歳の命を散らしました。



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▲新撰組が流山に入るときに使ったと言われる丹後の渡し跡


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▲丹後の渡し跡付近の景色


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▲近藤らが逗留した流山本陣跡とそれを偲ぶ石碑