カッパ祭り開催に寄せて④ー小川芋銭と住井すゑー | 徒然探訪録

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小川芋銭のアトリエ『雲魚亭』から歩いてすぐのところに女流作家住井すゑの住まい、及び老子研究等諸文化活動のために建てた学び舎『抱樸舎』があります。

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▲同じところに標識が立てられているくらいご近所です。

住井すゑは17歳の時、講談社の婦人記者に採用されましたが、女性社員差別に抗議し、わずか一年で退社してしまいます。19歳のとき、農民作家の犬田卯氏と結婚、農民・婦人運動に関わるようになります。1935年、夫とともに牛久村城中に移り住み、執筆と農耕自給の生活を送りました。夫の逝去後、1959年に『橋のない川』が部落問題研究所の雑誌『部落』へ掲載され、1973年までに第一部から第六部までを刊行しています。1992年、90歳で第七部を刊行、しかし、第八部は表題のみを残し、書き上げられることなく、1997年96歳で逝去しました。

近所に住んでいた小川芋銭とは夫とともに交流があったようで、芋銭が『抱樸舎』と書いた書を送ったりもしています。大正6年、芋銭は吐血して東大病院で診察を受けていますが、その時牛込で下宿していたすゑの夫卯を訪ね、寝起きを共にし、そこから診察に通ったと言います。そのお礼に芋銭が送ったのがこの書だということです。

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▲『抱樸舎』。名前の由来は中国古代の思想家、老子の書物に出てくる言葉に基づいています。
『樸』とは、山から切り出されたままのアラ木(原木)のことです。見かけは何の変哲もないが、うちに多種多様な可能性を備えているから価値がある、素朴な心を抱き続けよう、そのような思いが込めらています。公開されている自宅には展示室があり、書斎も見られるようになっています。書斎には絶筆となった書きかけの原稿も残されています。見学時間は午前9時~午後3時までで、特に休館日などはないようです。

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▲『抱樸舎』は現在でも様々な勉強会に利用されており、過去には永六輔氏など多くの文化人がすゑを慕って講師を勤めたということです。