初心者による初心者のための土方歳三の写真について③ | 徒然探訪録

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件の土方歳三写真は明治2年7月に、市村鉄之助が、日野の佐藤家を訪ね、渡したものだと言われている。
ただし、『佐藤彦五郎日記』にはそのことは記されていない。その当時新選組は賊軍扱いで、新政府からの監視の目も厳しく、彦五郎自身も身を隠した時期があり、家族にも追及の手が及んでいたことを考えれば、公には記録として残せなかったと思われる。『佐藤彦五郎日記』の亀太郎来訪の記事と混同されたこともあるが、市村が来訪し、写真を届けたのはほぼ間違いないだろう。

市村来訪については『両雄士伝補遺』や『聞きがき新選組』で確認出来る。

『聞きがき新選組(佐藤家に伝わる今昔備忘記を元に作成)』によれば、市村は土方歳三の写真と『使の者の身の上頼上候 義豊(土方歳三の諱)』と記された小切紙を彦五郎に渡したとのことだ。
日野宿本陣文書検討會のブログ、2005.3.11の『市村鉄之助』という記事でそのあたりの引用文を読むことが出来る。

『両雄士伝補遺』によれば、土方歳三は市村が当時十六歳という若さであり、京都以来随従して最も寵遇していたため、市村を憐れみ、件の写真や、髪の毛、和歌などを託し、故郷へ届けさせたという。
「(市村は)少年といえども、すこぶる勝気あり、性また怜悧」とある。

市村もまた若くして夭折しており、沖田にも重なる部分もあるのだろうか、女性に人気がありそうな隊士だとのイメージがある。

『慶応四年新撰組隊士伝』によれば、兄の辰之助の許で同居するも、明治5年2月に兄が病没すると、後を追うようにその9ヶ月には病死し、享年わずか19歳だったという。

参考文献:『新選組隊士録 (相川司著 新紀元社)』