土方歳三の身長の話が出てきたところで、容姿について書かれたもので、よく目にするものをいくつかあげておきます。
小島為政『両雄士伝』→風度瀟麗、沈豪能耐於事、寛裕而容物
橋本政直『両雄士伝補遺』→身丈五尺五寸、眉目清秀ニシテ顔ル美男子タリ
流泉小史『新撰組剣豪秘話』福地桜痴→
近藤とは兄弟分のような土方の方は、一寸商人風なところがあり、おまけに色も白ければ、なで肩の少し猫背がかってはいたが、身長もすらりとした、あの仲間内では男っぷりもよい方である上に、人との応対にも抜け目なく、かつ如才なかった男だけに、少しく気障なところがないでもなく、人によっては毛嫌いする者もかなりあったようで、現に余のごときもその一人で、近藤の道場にときたま遊びに行くことがあって、伊庭八郎や代稽古していた永倉、沖田、藤堂などという連中と話はあって
も、土方とはあまり口を利いたことがなかった。
『漫談 明治初年』水峰秀樹→
内藤氏へ時々話に来る近藤勇や土方歳三達が、無暗に人を斬ったりはったりする人間とも見え ず、ことに土方の如きは役者とでもいいたいくらいの色男然る風貌であったのを記憶する
『譚海』依田学海→
一男子有り。
躯幹豊偉、面色黎黒、布を其の肩に纏い、創をつつ裹(つつ)む者の如し。
怪しみ問うに即ち昌宜なり。
……
余、其の人を見るに、短小蒼白、眼光人を射る。
……
仍(かさね)て問うに戦状を以てす。
歳三、詳しく之を説く。
且つ曰く、『戎器は砲に非ざれば不可。僕、剣を佩び槍を執り、一も用いる所無し』と。
其の言質実、絶えて誇張を事とせず。
蓋し君子人なり。。
『史談会速記録』安部井磐根→
色も青い方、躯体もまた大ならず、漆のような髪を長ごう振り乱してある。ざっと言えバ一個の美男子と申すべき相貌に覚えました
子母澤寛『新撰組遺聞』八木為三郎→
土方は役者のような男だとよく父が云いました。真黒い髪でこれが房々としていて、眼がぱっちりして引締まった顔でした。むッつりしていて余り物を云いません。近藤とは一つ違いだとの事ですが、三つ四つは若く見えました。「薬屋のむすこだというが、ちっともそんなところが見えないなァ」と私も思っていました。後で聞いたのですが、江戸にいる時に薬の行商をしたと云いますから、その時分は薬屋の倅だと間違われていたものでしょう。
子母澤寛『新選組聞書』稗田利八→
そこへ唐紙を開いて、黒い紋付を着て仙台平の袴をはいた土方先生が出て来て挨拶しました。いい男ですから、一万石や二万石の小大名とよりは見えませんでした。髪は総髪を束ねて、「いや、御苦労でした、わたしが土方歳三です」というようなことを第一番にいいました。
どれも美男というようなものばかりでした。私が偏ったものばかりに当たったのかもわかりませんが。
私は件の写真から見るに当時としてみて美男だったと思いますが。
あの写真はさらに目がぱっちりに修正されたものがあるそうです。講演会でそういう話がありました。
当時から写真を修正する技術があったことをその時初めて知りました。
少し調べてみましたが、当時は修正の技術が写真家の腕の見せ所のようなところがあったようです。これについてもまた調べてみようと思います。