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// TimeLine:240907
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TITLE:
死だけが等しく降り注ぐ。
SUBTITLE:
〜 fall in. 〜
Written by BlueCat
Written by BlueCat
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240907
朝(といっても11時頃)から草取り。
電動草刈り機の刃を改造し、気付いたら草刈りではなく金属加工をしていた。
イネ科の雑草の処理をするとき、ナイロンワイヤはすぐに痛んでしまうし、金属製(丸ノコ状)のブレードは弾かれてしまう。
それで最終的に落ち着いたのが樹脂ブレードタイプである。しかし千萱のような強い繊維が相手だと、これもあっという間に削れてしまう。
替え刃は樹脂だが決して安いと言えるものではない。
3Dプリンタで自作することも考えたが、完成強度も不明なのにいちいち設計データを起こすのは非効率かもしれない(ついでにレジンが安いとも限らない)ので奥様(仮想)が却下した。
仕方ないので樹脂ブレードにリベットやボルトでカッタナイフの刃を固定する方法を数ヶ月前の夢で思い付き、暑さも一段落してきたので加工し、試用したのだ。
結論からいえば、カッタナイフの刃は欠けてゆき、最終的にボロボロに割れてしまうことが判明した。
金属製の刃は硬いぶん粘りがなくて脆く、厚みがないゆえに応力耐久がない。
切れ味は抜群だっただけに残念である。
仕方ないので100円ショップの穴あきブラケットをグラインダで加工して厚めのブレードを作り、それを同じように固定した。
10分ほど連続稼働したが、追加ブレードが外れることは今のところなく、固定穴の変形も見られない。
金属ブレードなのでφ10mmを超える木の枝を落とすほど切れ味があるし、固定穴はひとつなので石や地面やコンクリに衝突した際も力が逃げる。
固定が外れて金属刃が飛んでしまう事故が心配なので、当面は注意深く使う必要があるだろうが、結果には満足している。
しかし金属加工で半分以上の時間を使ってしまい、空調服を着ていても暑くなってきたので作業を終了する。
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後片付けをしてシャワーも浴び、試作の結果を満喫しながら休憩していると、件の老婦人がやって来る(電話は着信拒否にしてある)。
数日前もやって来たが、今回もどうでもいい内容の話。
話が一段落したところで「作業中であるから」と話を打ち切る。
喫煙してリラックスするのも僕には大事な作業である。
それから15分ほどしたところで再びやって来た。
曰く、お茶に誘いに来たという。
ほとほと困惑し「今作業中なので」と固辞する。
TVゲームも僕には大事な作業である。
それからしばらくして、幻聴が始まった。
鳴ってもいないドアフォンの音が聞こえ、集中のすべてが途切れるのだ。
ときどき動悸(どきどき)もする。決していいタイプのドキドキではない。
もっと別方向に、ときめいちゃう系に舵を切ってドキドキさせてほしいものである(件の老婦人には適わぬ事だが)。
電話を着信拒否にしたのも同じ、幻聴が聞こえるからである。
こうしたストレス時の幻聴には(過去によりひどいものを経験して)慣れているので、初期段階で遮断する。
(放っておくと症状が重くなる)
普段は就寝時も玄関の鍵を開けていることが多い(不用心)が、仕方ないので常に施錠し、ドアフォンについては鳴らないように加工した。
本来このような対応をするのは好まない。
神経質だと笑われそうだが、自宅にいるときも鍵を掛けると決めたら今度は、ドアに鍵が掛かっているか何度となく確認することになる。
確認しているときに玄関の向こうに人影が見えたらどうしようかと、ありもしない事態に緊張する。
電話も見ないようにしているのだが、他の人の着信や用があって見るときに要らぬ緊張をもたらす。
想い人の来訪や電話による心地よい緊張なら良いのだが、そうではない。
不快な人間の来訪や電話に対する防衛によって、要らぬ緊張を強要されるのだ。
経験のない人は経験のないままの方が幸せだろう。
それが嫌で僕は人を近づけず、玄関にあまり鍵を掛けないし、着信拒否もあまりしていない。
平和ボケというならその通り。
他人を疑い、不快な支配に怯えるくらいなら、そもそも周囲に人を配さず、万一のときは誰かにすべてを奪われて殺される方がいっそ心地よい。
ほら誰かが言っていたではないか。男は殺せ、女は犯せ、と。
それでオープンにしているのだが、野良猫より無神経な人間には事欠かないらしい。
せっかくの孤独が台無しだ。
じつに今月に入ってからすでに3日以上、延べ6回以上訪問を受けている(今回のように、なぜか2度来る事が多い)。
まともな用事だったのは、駐車場代金の授受をした一度だけ。
もはや襲撃と書いても許される気がする。
そろそろ真面目に契約解除を考えるレベルである。
こちらは一人の方が好きだと何度となく伝えているし、誘いは毎回断っている。
私の知らない誰かへの愚痴や、私の属していないコミュニティ(僕はほぼすべてのコミュニティに属していない)の噂話ばかりであることにたまりかね、先日、話を遮って(その二種類については興味もないし聞きたくないのでやめて欲しいと)かなり強く釘を刺したところである。
それでもやって来る。
近所の陰口を控えてくれたのは当日だけで、基本的に解決のしようもない、聞いてためになるわけでもない、箸にも棒にもかからない話題をただただ話したがる。
僕のように壁に向かって話し掛ければ世界の平和も近づくものを。
寂しいというのは分かるし周囲から冷たくあしらわれていて辛いのだろうけれど、もはや同情の余地はないだろうと考え、方針を変更することにした。
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昨今流行りの言葉で言うと、僕はもしかしたら「持っている」タイプなのだろう。
運がいいというか、だいたいネコノカミサマへの神頼みをしているだけで願いが叶うという謎の現象に20年ほど前から見舞われている。
別に信じて欲しいわけではないが、モテだぞーと呟けばガールにモテて、オカネモチーになるぞーと願えばオカネモチーになってしまう。
書いていて自分が一番信じられない。ネコノカミサマが実在するとでも思わなければ理解できない。あるいはこれは何かの呪いだろう。
願ってすぐに叶うわけではないのだが、努力をしているつもりも(するつもりも)ないし、目標に邁進するような真面目さなど端から持ち合わせていない。
運任せにしているわけではない(そのつもりもない)が、最初から心のどこかで諦めて、投げやりに生きている。
ずっと自分は不運だと思っていたので、ギャンブルもしないし宝くじも買わない。
学生時代にゲームデザインをしていた名残りで、反射的に期待値を計算してしまう結果かもしれないが。
どうせこの手で殺すつもりなのだからと、自身やその将来に対して希望を持たず、生きる気力を傾けてもいないのだ。
貧しかった上、早死にする計画があったため、まともに貯金をしたこともない。
まして齢百(四捨五入を二度繰り返します)に到達したのだから、今さら自分の欲に踊らされたり老後の希望を描いても仕方ない。
同居の家族もいないし、子供も(シュレディンガーの仔猫以外)存在しないから、他人の未来を考える必要もない。
今はいかに年金を受け取る前に死ぬかを考えているほどだ。本当だぞ。 オカネモチーになる前に予測したとおり、オカネモチーにはオカネモチーの悩みがある。それは理解できた。特に税金が怖い。
それでもまぁ今のところは数百万円も払えば自由が手に入るので、毎年、日本国における自由のサブスクリプションを更新しているのである。
恵まれているのは金銭や物質、時間だけではない。
過去に対する認識を改めた結果、僕はたいそう周囲の人間に愛され、大切にされていることに気付いた。
現在周囲に居る(2名ほどの)友人や(4名中2名ほどの)姉妹のほか、当時は愛されているとは思いもしていなかった父親や母親からたいそう大切にされ、挙げ句の果てには勤務先の上司やパートさんからも(同情から始まったのかもしれないが)たいそう大事にされた。そのことに思い至った。気付いたのである。
そうそう27人くらいの恋人もいたな。
彼ら彼女たちは(面倒くさがる僕を基本的にそっとしておいてくれることも含め)めちゃくちゃ僕を尊重して、大切にしてくれている。
たまに粗大ゴミの片付けや庭木の剪定の人工(じんこう、ではなく、にんく、である)に使うBPや、嫌がらせついでに遊びに来るTUや、40歳を過ぎてなお小遣いをせびる妹や、介護をさせる姉も居るが、彼らは僕が本当に嫌がることは絶対にしないし、僕が頼むことはだいたいこなしてくれる(もっとも僕が人にものを頼むなんて10年に一度くらいだが)。
むしろ割に合わないくらい愛されていて、恐縮している。
ちょっと買い物に出掛けたり、ちょっと飲食店で食事をすると、これまた大層大事にされる。これにも恐縮している。
愛されている自負があるので、だから僕は独りでいても寂しさを感じない。
自分はこれまでも大切にされてきたし、今も大切にされていると(独りのときは尚更)感じる。
自己愛まで発揮している(それ用の仮想人格まで用意してある)ので、なんだか申し訳ないくらいである。
件の老婦人は、つまり心が満たされていないのだろう。
それは心が貧しい、と言い換えられる。
物質的な豊かさが精神的な豊かさをもたらすのか、あるいは逆順なのか、それは分からない。
もちろんいずれかが豊かでもいずれかが満ち足りていないという人だっているわけだから、必ず相関するものでもないだろう。
コミュニティに属することが幸福度と相関するというまじないも僕は信じていない。自分が証人だからだ。
そもそも他人の存在やその関係の有無で自分の幸せが決まってたまるかよ、と思っている。
たまたま僕は豊かなフリをしてゲハゲハしていたら豊かになってしまった。
これは自慢ではない。分不相応で不当な幸せに困惑している。
世の中には僕より苦労したり、僕より努力している人がいて、その人たちも同じように運が良ければいいのに、と思う。
しかしまぁ、本当のところ、運ではないのだよね(口調が変)。
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会社員の頃、仕事をサボっていたことは何度となく書いている。
実際問題、サボれない会社では僕は著しくパフォーマンスを落とす。
サボって(もっとラクをしよう)と思った結果、30分の作業を5分で完了させるような仕組みを(サボった合間に)作ったりしていた。
サボれない会社では、30分の作業をいつまで経っても30分でこなすことを要求される。
サボれないからラクをする仕組みを作ることができない。
僕はサボろうとするし、組織はサボりを許さない。
結果として相容れなくて僕はその組織を辞めてしまう。
言い訳みたいに聞こえるかもしれない。実際ひどい言い訳だと自分でも思う。
最終的に自営業に落ち着いているのは、まぁ、幸運だから? と片付けるしかない。
(先月は携帯電話の引き落としができず、払込用紙が届いているほど僕には自己管理能力がない)
でも勤勉に努力し続けるだけの素養も体力もないのだから、悪びれもせずサボって、悪びれもせず埋め合わせる技術を発揮できるほうが良かったのだ。
まぁそういう環境にいられたことそのものが、幸運だったと今は思うが。
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当時から僕が関心を寄せているのが、人間の心理に対して物理学を当てはめるという手法だ。
慣性の法則が人間心理にも当てはまると考えて(仕事したくないな)という考え方をやめて(会社に行って仕事するのたのしー!)という価値観を無理矢理構築した。
仕事が楽しくなったから「たのしー!」と思うようになったのではない。
楽しくないから「たのしー!」と思うことに決定し、そういう価値観に染まった結果、している仕事がだんだん楽しくなってきたのだ。
自分が相手を阿呆だと思っていると、どんなに美辞麗句を並べても相手から阿呆だと思われるようになる。
だから好かれたい相手や、自分を好いてくれている相手を好きになるようにした。
どんな理不尽な目に遭ってもインファイトボクサーのように近づき続けると、やがて近すぎてパンチを打てなくなる(当たらなくなる)距離がある。
そうやって相手との距離を詰めることへの恐怖も捨てた。
僕は人間を好ましく思っている人格を持っている反面、非常にシニカルに突き放している人格がある。
人間というのは、なかなかどうして人間ヅラしている奴ほどケダモノっぽいのだ。
昔から言う「警官、教師、坊主、政治家、宗教家」などは典型だろう。
僕が好きになる人は、いつもちょっと、どこか人間っぽくない。
人間らしさには、人間ぽくない部分が含まれているのだ。
人がましい顔をすることを僕はある時期からやめた。僕は正しくケダモノである。
そうした行為のひとつひとつは、ときに滑稽で、説明しても何の意味もないものに思えるだろうと思う。
事実、即効性のある効果は何もなかった。
しかし考え方を次々変えてゆけば、自分と相反する価値観にも理解を示すことができる。
男は殺せ! 女は犯せ! といつも口を酸っぱくして言っているが「それは良くない」という人たちの考え方も理解できるようになる。
僕は嫌いなものを好きになることができる(30歳まで嫌いだった蜘蛛も、実験の結果、今では好きになっている)。
嫌いなものを好きになれるなら、好きなものを嫌うこともできるし、嫌いなものを憎み潰すことも、好きなものをもっと好きになることもできる。
そうやって僕は次々と、見える景色を変えてきた。
他人とコミュニケーションを取るのが苦手な僕にとって、それは他人を変えるより手軽で簡単な方法だったに過ぎない。
そう考えると、僕はコミュ障で良かったな、と思う。おかげで(仮に錯覚でも)たくさんの人から大切にされている。
景色が変われば、誰だって態度が変わる。
自宅のベランダから下を見おろしても(まぁこんなものか)と思うが、清水寺まで行けば(こんな場所から飛び降りるなんてどんな覚悟だよ!)という気持ちになる。
妹名義も合わせると数億円の負債を僕は抱えているが、それだけの財産があるのだと思えばどうということもない。
差し引きで考えればゼロになるから自慢にもならない。
そもそもこれらは(僕と妹それぞれの名義であっても)本来僕の(あるいは妹の)ものではない。
所有者がいないと困るからという理由で立てられた傀儡の所有者であるというなら、自分だと思う自分もまた傀儡に過ぎない。
いったい人それぞれの抱えているものとは、果たしてプラスだろうか、マイナスだろうか、それともゼロだろうか。
まるで真空のように空っぽじゃないか。
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僕は持たない者の悩みも知っているし、愛されない者の苦しみも分かる。
持てる者の悩みも(モテる者の悩みも)、愛される者の苦しみも分かる。もちろんその喜びも。
そして実のところ、持たない者も愛されない者も、じつに等しく喜びがあるのではある。
何を見て、何を見ないかというのは、何に見えて、何に見えないかという錯覚の問題である。
多くの人が、己の視野の広さや狭さについては意識しないまま世界を語っているように思える。
見えない月の裏側を見ようとする人は少ない。見たいと願う人も少ない。
見える側だけ見たいように見て、面白いだの退屈だのと好き勝手に言うのが人間だ。
僕は両方分かる人生がいいな、と思っていた。
それを忠実に実現しようとしてきた。それだけのことでしかない。
件の老婦人はどうだろう。
アレが足りないコレが欲しいと求めているが、その心が貧しいから、はぐれた野犬のように求め続けることをやめられずにいる。
私が何かを与えることはできないし、与えられるとも思わない。
哀れではある。
そもそも彼女は己の求めるものをすでに持っているはずなのだから。
できる限りの手は差し伸べたし、今後も可能なことなら手を貸すだろう。
僕には彼女の痛みが分かるが、彼女に僕の痛みは分からない。
残酷だとは思う。
僕がではない。世界の仕組みが、である。
僕は理解したつもりになっていて、彼女は理解したつもりにすらなれない。
死だけが等しく人に降り注ぐ。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Cross Link ]
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[Engineer]
:青猫α:黒猫:銀猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Interface-Link-Love-Mechanics-Recollect-Stand_Alone-Style-
[Module]
-Condencer-Convertor-Generator-Reactor-Resistor-
[Object]
-Camouflage-Human-Tool-
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[Cat-Ego-Lies]
:ひとになったゆめをみる:
:君は首輪で繋がれて:
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