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TITLE:
悪意がなくても善意にならない。
SUBTITLE:
〜 Dodge the edge. 〜
Written by BlueCat
Written by BlueCat
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::自分は水が苦手で、泳げないと思っていましたが、やってみると、意外に楽に潜ることができました。苦手だったことを忘れているからかもしれません。
::自分は水が苦手で、泳げないと思っていましたが、やってみると、意外に楽に潜ることができました。苦手だったことを忘れているからかもしれません。
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240727
5時頃起床、あまり時間がないのですぐに着替えて庭仕事。
時間がないといってもスケジュールが詰まっているというのではなく、7時には陽が差すようになってしまうのでその暑さを避けているだけである。
一昨日、姉の通院日だったため、昨日の記憶がほとんどなく、目覚めて身体のあちこちが軽い筋肉痛である。
力仕事をした覚えはないから寝てばかりいたのだろう
心身のバイタルが、屋内で過ごしているために低下してしまう人が多いと聞く。
とくに仕事もせずにぼさーっとしている年配に多いのだとか。
私も該当するのかもしれないが、精神的には穏やかで心地よく、清々しく毎日を送っている。
何が素晴らしいといって、何もせず、誰にも会わず、死人のような日常を過ごせることである。
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【掃き出し窓に呪いあれ】
一昨年あたりから、春の終わりにサンシェードを設えるようにしている。やはりというか、当然だが、屋内の温度が上がりにくいので。
毎年、掃き出し窓の多さに呪詛を掛けながら5〜8枚のタープを雨樋の留め具に吊って、地面にペグで打ち付ける。
当初はタープにセットのナイロン紐を使っていたが、昨年あたりからジュートロープ(直径8mmほど)を使っている。
摩擦が大きいので結びが解けたり緩んだりしにくく、丈夫で、しかしシーズンが終わる頃には朽ち始めるので撤去が簡単だ。
万一他所に飛んで行ってしまっても、放っておけば1年ほどで朽ちてしまう。
ところが今年は暴風雨が多く、頻繁にペグが抜ける。
ペグに掛かったロープが抜ければ良いのだが、解けはしないので、暴風にあわせてベグが踊ることになる。
今のところ窓ガラスが割れたことはないが、激しく打ち付ける音に悩まされ、翌日の早朝はペグ打ちをすることになる(今日はその作業からである)。
そしてその夕刻の暴風雨でまたペグが抜けたりする。
掃き出し窓に災いあれ(呪詛、ふたたび)。
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【お昼寝の甘美な背徳】
作業を終えて屋内に戻ると7時を少し回ったところ。
シャワーを浴びて、純豆腐チゲを作って食し、カフェラテとタバコを傍らにゲームをして過ごす。
眠くなったら昼寝をする。
こうしたありようを(無意識に)自責してしまうこともあったが、今は「平和だなぁ」と思って、嬉々として微睡む。
半裸で過ごせば室温が27℃でも、肌寒く感じるほどである。ひんやり乾いたシーツが肌に心地よい。
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【老婦人からお酒を誘われ、断る】
18時頃、近所の老婦人が訪れる。
悪い人ではないが善意が足りないため、結果としての言動が、悪意のあるそれのようになりがちな人で、こちらからはなるべく接触しないようにしている。
具体的にいえば、一日に16回くらい、20分ほどおきに電話を掛けてきたりすることがあった。
毎回、留守電まで残したりする。緊急の、重要な用事かというとそんなこともないので、着信拒否をしたほどである。
そもそも僕は彼女の親族ではないし、親しい友人でもない。
ただ近所にいて、駐車場として庭の一部を貸しているだけである。
だからその架電回数は(僕にとって)異常であり、迷惑(つまり不快)である。
そういった部分に、当人は(嫌がらせをしてやろう)というような悪意はなく、しかし(迷惑かな?)という善意あるいは気遣いが足りず、自身の常識の範囲で架電していた結果として、僕が不快になったわけである。
彼女が悪いとは(少なくとも僕は)思わないし、それを言うなら(迷惑なので止めてください)ときちんと言わない僕も悪いだろう。
僕にしてみればいちいち自分の不快を訴えるのも煩わしいのだ。
彼女は僕を嫌っているわけではなく、むしろ親しく(色恋の情ではなく、近所の老人会の一員のようなカタチで)なりたそうにしているから、言えば謝罪して、改めてくれるだろうとは思う。
しかし忠告するのも気力が必要で、僕はその気力をかき集めるほどの価値をこの一件に見出していないので放置しているというわけだ。
今回我が家にやって来たのは、家呑みのお誘いである。
一度だけお酒を交わしたことがあるのだが、以後、お断りしている。
お酒は好きであるし、彼女を嫌うつもりはないが、1人で静かに飲む方が好きである。
他人様の愚痴を聞くことは僕にとって愉しみのひとつではあるものの、彼女のそれはどういうわけか楽しくない。
仕方ないので丁重にお断りする。
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【愚痴というエンジニアリング】
愚痴というのは基本的に「理想と現実のギャップの中で、その人が道を見失っている」という状態から始まることが多い。
いわく「会社の後輩が生意気で、仕事もせず、言うことを聞いてくれない」。
いわく「恋人や伴侶が、浮気をしたり仕事に熱中したり遊びにかまけていたり(状況は様々)して、自分のことを蔑ろにしているように感じる」。
いわく「嫁がYoutubeで変なスピリチュアル動画にハマって毒されており、嫌気が差している」。
いわく「大事に育てて一緒に暮らしていた飼い猫が家出をしてしまって寂しい(私の実話)」。
ほかに「政治家のしていることが意味不明」「近所のスーパの客層が悪くて困る」「それどころかこの地域は全体に野蛮な人間が多い気がしている」「税金が高くて困るが、四期に分けて払うのが面倒だからまとめて払ったら、翌月の預金残高が返済額に追いつかず、銀行から電話が掛かってきてしまい、慌てて支払ったものの残高が1800円しかなくて7月の生活は大変だった(私の実話)」などなど。
不平や不満の陰には、かならず「こうあってほしい」「こうだったら嬉しい」「こうなれば幸せなのに」という願いや祈りがある。あるいは「こうあれかし」というポジティブなものではなく「こうであってほしくない」というネガティブなものも存在する。
たとえば「最近、娘が遊びに出掛けた際、帰宅が非常に遅いのだが、犯罪被害に遭ったり、果ては望まぬ妊娠をするようなことになってほしくない(妹の実話)」など。
いずれにしても人々は、自身の中で明言化されないまでも豊かな理想を持っており、穏やかな、あるいは明るく幸せな日常を願っている。
その愚痴の中では、僕にそれを訴えているその人自身と、僕のあずかり知らない(愚痴としてはその方が理想的な)誰かがいる。
問題視されているその「誰か」が考え方や行動を改めてくれれば、その人自身やその人と誰かを含む集団が、より理想的な状態になるとその人は考え、訴えている。
じつに微笑ましいので、僕はそれらを聞くのである。
そこには「どう考えても独善的な価値観で理不尽な行動をする、ちょっと人間力の足りない人」が登場したり、「ふとした過ちから正しい道に戻れなくなってしまった困った人」が登場したりする。
そして僕にその愚痴を訴えている人が、その中で何に迷ってしまい、どこに向かおうとしていたのかを、整理する。
といっても大抵の人は、ただ話しているだけで(僕が注意深く話に耳を傾けなくても)自ずと整理してしまうので、僕は煙草でも吸いながら「ふふーん」と相槌を打って(あるいは鼻歌でも歌って)いればいい。
あるいは自身の居場所が分からず、目指す先も分からず、あるいはそれが分かっているのにどうすればいいか分からなくなっている人もいる。
そういうときは客観的に(まぁ単に僕個人の身勝手な視点から)こうなればいいんじゃないの? だとしたらこう考えてみるのはどう? というサゼッションをするだけである。
見方を変える、価値観を変える、そうすれば行動が変わって、結果が変わる。シンプルなことである。
だから「そういう人は嫌だよねー」で始まって、そのまま終わってしまうのは僕はつまらない。愚痴を聞いて損をしたような気分になる。
たとえば排水トラップのどこかから水が漏れて嫌な思いをしている人がいる。
「漏れるんだよ、嫌だよねー」「そうだねぇ、そういうの嫌だよねー」で終わってしまう愚痴なら、僕は聞く価値がないと感じる。
「締め具が緩んでいるかも」「ホースやパッキンが劣化しているかも」「詰まりが発生しているかも」と原因を話の中で模索し、「その場合はこういう対策はどうかな」と提案するところまでが僕の「愚痴を聞く」という作業なのだ。
愚痴に対して同意で終わってしまうというのは、悪意がないとしても善意がない。
どうなるといいと思う? こうなればいいよね。こうしてみるのはどうかな。
というのが、愚痴における善意の発露だと僕は思う。
必要は発明の母という言葉のとおり、不満は幸せへの道しるべなのだから。
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【欲を隠さず、善意を持つのは勇気が要る】
そのようなわけで、そのご近所の老婦人の愚痴は、不満に対していかなる善意を提案しても、否定されてしまう。
ご本人様そのものに、悪意はないのだが、残念ながら善意もない。
ダイレクトに「どうなればいいと思いますか?」と訊ねたことさえあるのだが、自身の欲をつまびらかにするのが恥ずかしいのか、明瞭な答えがない。
たとえば「親族が自分を蔑ろにしているように感じる」という不満には「自分は寂しいし、もっと大事にしてほしい」という欲求がセットになっている。
そうした欲求を持つことは、果たして恥ずかしいものだろうか。
たとえば「近所の誰かが自分の陰口を叩いているように思う」という不満には「自分は多少なり縁のある人のすべてから、賞賛されないまでも非難される謂れなどない」という自尊がある。
なのにご本人様は「まぁ別にいいんですけれど」などと、謙遜めいた振る舞いをして、にもかかわらずいつまで経ってもそれが不満なのだ。
僕は「今回こそ面白い愚痴を聞けるかな」と思って度々耳を傾けるのだが、かの老婦人は一向に己の欲をつまびらかにしない。つまり自覚がないのだ。
もっと幸せになりたい。もっと自由でありたい。もっとみんなから大切にされたい。
そう思っているはずなのに、それを自覚しておらず「周りのせいで不快になる。周りのせいで不自由をしている。周りの人間が自分を蔑ろにしている」と訴える。
くどいようだが、彼女に悪意はない。
しかしそれが巡り巡って、周囲を悪者にして、自分は悪くないと主張する悪意となって発露してしまう。
そうやって結果的に悪意として発露する価値観も、悪意としては自覚されない。そもそもに善意がないからだ。
その善意のなさは、自身を犠牲にして、欲や自尊心をつまびらかにしないことで成り立つ慎ましさだ。
そうした慎ましさは、一見すると美しいのかもしれない。
しかし実のところ「自分は我慢している」という不満を溜め込む根源である。
「自分は(他人を思って)我慢をしている、だから他人も(自分のために)我慢すべきだ」という価値観が、彼女を不幸にしている。
私はおそらく、そういう人間に対しても我慢をしない。
(実際、笑顔で接しながらも、着信拒否や居留守について容赦しないので)
するといつしか、ある段階で「猫氏は最初の頃と違って自分を蔑ろにしている」と非難されることになる。
僕が何も変わらなかったとしても、彼女が何かを我慢し続けた結果、ある段階でそのような状況になる。
なぜといって僕も元々は、自分が我慢することで周囲の不和や不満を取り持つような方法で、その場しのぎに問題を解決しようとしていたからだ。
その慎ましさは、本人にはある種の美学の現れなのだが、実に誰も救われない。誰も幸せにならない。
良かれと思っているから悪意はないのだが、良かれと思う理想がないとはつまり、善意を持つ勇気がないのだ。
結果的にそれは、自身はもちろん、周囲も不幸にしてしまう。
>>>
【老年期の孤独たち、孤独を愛でる僕たち】
老年期になると、定年退職を迎えたりで、男女を問わず孤独に苛まれる人を見聞きする。
子供の頃からそうした「言外の寂しさを抱えた大人」というものを見てきた。
僕だって、寂しさは感じる。
先日も、夜中に不意に寂しくなってしまって、誰かに会いたいな、話をしたいな、と思ったものである。
しかし平日も夜更けの2時である。
友人のBPもTUも眠っているし、人間型の恋人も多分寝ているだろう(そもそも半年以上、メールもしていない)。
姉なら起きている可能性もないわけではないが、わざわざ連絡をする必要もない。
そもそも話すことなど何もない。
誰かに、背中合わせに届く範囲で居てほしいな、とその程度のことである。
猫が居ればそれで足りるのだが、アヲは家出をし、クロは姪が貰っていってしまったので、我が家には猫も(僕しか)居ない。
なにより僕はそうした寂しさを、結構好ましく思っている。
それに寂しさを埋めるために誰かと会ったり、話したり、触れたりしても、往々にしてそのコミュニケーションには不満が残る。
なぜといって、コミュニケーションを取るためにコミュニケーションしたわけではないからだ。
仮に不満も不快もないコミュニケーションが成立したとしても、結局のところ、寂しさが消えてしまったり、変質してしまうことには変わらない。
だから夜更けの寂しさを、触れるか触れないかの場所から、そっと眺めるのが好きだ。
ああさみしいな。
あの人は今何をしてるかな。
寝てるだろうな、そりゃ、寝てるよね。
あの人はどうかな。そりゃ、寝てるよね。
長らく会っていないあの人はどうかな。まぁ寝てるよね。
そもそもみんな、誰かと一緒に居るのだものね。
いいな。
でもちょっと、自分だったら煩わしいだろうな。
たまたま今は寂しく感じているだけだものね。
そうやって寂しさを堪能してまた、ゲームをするなり、料理をするなり眠るなり、するわけである。
>>>
>>>
【ネコノカミサマに訴えておきたい】
かの老婦人の抱える寂しさも、分からないわけではない。
でもまぁだからといって、同調するものでもないし、相手をするほどでもない。
寂しさは寂しさとして、正しく味わうことが至上だと思っているならなおさらである。
そもそもネコノカミサマに「もっとオイラはモテてもいいと思う」とも書いた(実によくモテる)し、基本的に異性は年上が好ましいとも書いている(老若男女、ほどよく世界には分布しているので満足しているから、年齢はもはやどうでもいい)が、母親ほども年上の女性に好かれたとて(色恋の情がないにしても)正直困るのだ。
やはりここはひとつ、絶対の安全策として「美人でエッチな人にしか興味がありません」と宣言しておくくらいの方がいいのかもしれない。
ネコノカミサマに宣言しても意味はないと僕は思うのだが、意味はなくとも実現しやすいのがオソロシイ。
<くるしゅうないぞ>
>>>
このところ零時より前に眠くなる。
まぁ5時には起床していることが増えたのだから当たり前といえばあたりまえか。
23時より少し前に、意識がもうろうとしてきたので眠る。
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::「あの……」マサイは顔を上げて再びこちらを見た。「私が思っておりますのは、その、このようなことを貴方様に申し上げるのは、分不相応で、気が変になったかと思われるやもしれませぬが……、あの、つまり人の命、いえ、動物の命も、あらゆるもの、すべての命は、勝手に取り上げて良いものとは思えないのです。それは、この世に生を享(う)けたものが、自ずと生まれたもの、なにかしらの役目があって生まれたものだからです。そういうことを、その、私は……」
::「あの……」マサイは顔を上げて再びこちらを見た。「私が思っておりますのは、その、このようなことを貴方様に申し上げるのは、分不相応で、気が変になったかと思われるやもしれませぬが……、あの、つまり人の命、いえ、動物の命も、あらゆるもの、すべての命は、勝手に取り上げて良いものとは思えないのです。それは、この世に生を享(う)けたものが、自ずと生まれたもの、なにかしらの役目があって生まれたものだからです。そういうことを、その、私は……」
マサイはそこで黙り、また下を向いてしまった。
「そのとおりだと私も思います。たしかに、刀は、その大事な役目を持って生まれた命を絶つためのもの。できることならば、使わないにこしたことはない」
「いえ、お侍様は、当然の大義があって刀を使われるのです。ですから、それに対して、申し上げているのではなくて……」
「いえ、そのようにお気を遣われることはありません。今おっしゃった、侍の大義なんて、きっと大したものではない。ただ、自分が生きたい、自分が得をしたい、相手のものを奪いたい、そんな勝手なものにすぎないと思います」
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[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「Rending silence」From「The Mind Quencher」
(著作:森 博嗣 / 発行:中央公論新社)
によりました。
なお、引用文中のルビ文字は『()小括弧』にて記述しています。
[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Cross Link ]
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[Engineer]
:青猫α:青猫β:黒猫:銀猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Convergence-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Form-Interface-Link-Mechanics-Moon-Season-Stand_Alone-
[Module]
-Condencer-Connector-Convertor-Generator-
[Object]
-Garden-Human-Night-
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[Cat-Ego-Lies]
:青猫のひとりごと:
:君は首輪で繋がれて:
:夢見の猫の額の奥に:
//EOF

