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TITLE:
倫理とエゴの境界線。
SUBTITLE:
~ The ZERO Divider. ~
Written by BlueCat

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::つまり、いずれが人として正しい道か、ということだ。侍としてでも良い。
::いずれというのは、何と何を比べているのですか?
::女を愛でることも、情に身を任せることも、間違いではないと思う。人として、それが本来の生き様にも見える。しかし、人は動物ではない。刀を持ち、己を律し、鍛え、励むものだ。刀を研ぐように自分を磨くのが本来ではないか。さて、このいずれに正しい道があるのか、ということ。
::私にはわかりません。
::簡単に言うな。それを一緒に考えてくれ、と頼んでおるのだ。



 

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240107

 世俗では正月から地震で慌ただしかったようだ。
 群馬県というのは温泉地が多い。つまりは火山があり、地底活動がそれなりにある。
 一方で大昔からその活動が活発だったのだろう、山は岩山が多く、ために堅牢な地盤が多いようだ。
 偶然か必然か、地震の損害は存外少ない。
 かつては雷と空っ風の風土が有名だったが、かれこれ20年ほどから、それも少なくなった。
 近年は夏の灼熱が問題だが、それは日本各地が同様だろう。

 太田市は大戦時の空襲で飛行場付近といわず穴だらけになった過去があるらしく、十数年前の大地震で被害の出た当時、職務の都合で家々を見て回ったものだが、多く損害が見られる場所は、かつての爆弾の穴を埋め立てた地点であると、古くを知る方から聞かされた。
 無論、そんな(爆弾で穴が空いた)場所がどこであったかなど、いかなる地図をあらためたところで見つかるはずもないから、新たに家を建てる人はある意味での博打をすることになる。

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 建物の耐震性というのは、国の定めた基準であるが、結局は国が定めた基準でしかない。
 何が言いたいかというと、基準を満たしていれば絶対安全というものではない。
 これは僕の乗っているダイハツの自動車でも同様だ。

 決まり事が悪いというつもりはない。
 決まり事などないとなれば、安くてデタラメな材料を使って、手抜き工事をする事も可能になってしまう。
 自由市場経済において、安くて悪いものを高くて良いものとして売ることは、必ずしも悪いこととはされておらず、禁止もされていない。

 100円で購入したボールペンのインク(あるいはベアリングボール)が低品質で、すぐに目詰まりするからといって、人の生死に関わることは少ないだろう。
 一方で食品、薬品、建築物、乗り物などは人命に直結する。
 にもかかわらずその専門知識を有さない人は多く、その対象物について個々人が適切な知識を身に着け、各自で検証ができないのが実情だ。

 たとえば食品なら長期保存(あるいは長時間の品質維持)が可能なものも多い。しかしそれがどのように実現しているか、知らない人も居る。
 それらの品質維持ができる便利さを「正常な」日常と考えてしまうだけの先進的な環境に我々は暮らしている。
 個人的には製造から数日経過しても固さが変わらないパンなど、本来は魔法のように異常なことだと思う(自分でパンを焼いた経験からすると、やわらかいのは良くて半日程度なので)。

 自由市場という運動そのものを阻害せず、一定レベルの品質を担保するものとして基準を設け、その品質基準をクリアしたものだけを市場に流通させるという仕組みをこの国は持っている。そう考えるとなかなか優れた頭脳がこうした社会設計をしたと思える。

 僕はアナーキストだから、その設計技術を素直に賞賛こそすれど、過剰ともいえる管理や自主規制には辟易することもある。

 たとえば自動車の衝突安全基準でいえば「当たらなければどうということはない」ということだ ── そもそも安全運転というのは「安全な速度と方法で車両を運行すること」なのだから、安全運転をしない(できない)人間のために機械を安全にするのは本末転倒だとさえ思える。
 一方で個々の運転者を完全に管理することは不可能であり使用の事情も様々である。
 また本来的に不慮の事故を未然に防ぎ、あるいは損害を軽減するための新技術が生まれ、それが製品に反映されるのは良いことである。

 しかしその技術が結果的に人間に慢心をもたらし、「新」技術 ──「正常」な日常 ── に甘えてしまえば結果、人は暴走するように観察される。
 自動車でいえば過剰な速度で物理的に制御困難な局面を技術がカバー(加減速の操作どころか、車線またぎや車間距離までモニタ)してくれるため、危険運転を見誤る(危険を知らず、能動的に感知もできない)ドライバもいる。
 食品でいえば常温で長時間保存していても大丈夫なものが多いから、自宅の調理における管理や食事の際の確認がおろそかになって、味覚や嗅覚による変異に気付かない。
 これ自体は科学の進歩がもたらした弊害ともいえるだろう。

 ざっくりいえば、鈍感で、無知で、バカで弱くて自分勝手な人間であっても、それなりのお金さえ支払えば安心して暮らせる、豊かな社会が出来上がったのだ。
 つまりその「鈍感で、無知で、バカで弱くて自分勝手」というのは、ひるがえって考えれば社会的弱者のことである。
 弱者を守り、そうした者が ── 肉体や経済や情報処理能力、あるいは品位や文化レベルといった精神性で ── 劣っていても、そうした能力における強者と同じかそれに近しい状態で暮らせるように、技術が進歩したのだ。これは豊かなことであり、本来は幸福なことだと僕は思う。

 ただ過剰な管理を強制されるのが個人的には厭だな、と思うだけのこと(いつも思うが「思うこと」なんて個人的でしかない)であり、これは他者に ── あるいは社会や国家に ── 反駁し、強制からの解放や支配からの卒業を訴えたり、逆接的な強制を求めて夜の校舎の窓ガラスを割ってやろうというものではない。単に強制によって選択肢が無くなることに不満を持っているだけである。バイクを盗んだりもしない。

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 このブログを読んでいる人は知っていると思うが、僕は猫を飼っているわりに、それを畜生だと割り切っている。
(余談だが、ために種族同一性障害(笑)を抱える僕は、自身をケダモノであり畜生であると認識している)
 もちろん猫を畜生だと断じているからといって、軽んじるつもりはない。
 虐待しているつもりもない ── 実際にどう思っているかは訊いてみないと分からない ── が、パートナーだとか家族だとは思っていない(使い魔程度に思っている)。
 ヒトの身体を有し、人としての思考能力を僕の方が持っている以上、これは仕方ない。

 ただ昨今の「飼う」「買う」「拾う」「もらう」「あげる」という表現を ── モノ扱いしているとかいう綺麗ごとから ── 嫌って「お迎えする」「譲る」などという美辞麗句によって、己のエゴを虚飾する連中のそのご都合主義的なありようを毛嫌いしてはいる。
 いやなにそういう人たちが動物たちを大切にするのは一向に構わない。
 しかしそうしたエゴを強く他人に振りかざす者ほど、自分が飢え死にしそうになると、その身勝手なエゴのままに他者を抑圧するのだ。そのメカニズムはまったく一緒である。

 人慣れした飼い猫特有の、尊大にして泰然自若としている様子から、へりくだって自らを召使いであると自虐的に表現する飼い主がかつていた。そのネットミームの延長線上に思える。

 昨日TU(旧い友人です)から聞いた話では、旅客機に積まれたペットを救出しなかったことについて騒いでいる人がいるらしい。
 人間社会の通念で、航空機に積まれた動物は「積み荷」である。
 法的にペットは所有者の所有「物」であり、人格権を有さない。自動車事故でも法的見解に依るので同様だ。
 人間社会に存在するすべてのものは、人間というプロトコルによって定義されフィルタされ「人間とそれ以外」という区分がまず為されている。
 だからこの社会は人間社会なのだ。

 動物愛護者たちの倫理や正義が分からないではないし、それを否定するつもりはない。しかしそれはどこまでもファンタジィでしかない。
「戦争や貧困、差別のない社会を」という文言と同じこと ── 。
 もちろん理想を抱き、唱えることについて僕は否定しない。
 それどころか理想を持たず、現状に甘んじ、大勢に流され、主力におもねることを嫌悪しさえする。

 ただし大の大人がそのファンタジィを ── その理想を ── 子供が駄々をこねるように大人社会に向かって泣き喚くことを、良しとは思わない。
 どんな正義も、どんな倫理も、社会という場の通念というプロトコルを無視して他人に押し付けるのであれば、それは単なるエゴだ。

 極論を言えば、戦争や、貧困や、差別や不公平や不平等によって、それがあることで、豊かさを構築し維持してきて、今もそうしている人間がいる。
 それを認め、あるいは許すのは、清浄な倫理に支配されていてはむつかしいかもしれない。
 けれども既存の仕組みの中で、そうした豊かさに身を置く者を単純に断罪することもまた困難なことだ。
 倫理をいうなら彼らにも人権があり、家族も居るだろう。社会を観察すればその利権に関わる多くの人間が大勢を制御する力を有しており、それによってこれまで存続してきた歴史がある。
 巡り巡って、それは自分自身とその係累にも及ぶだろうし、自身とその両手の届く範囲についてだけは目をつむるというなら、それこそエゴイスティックな独裁の倫理だと断ずるよりない。

 繰り返すが倫理や理想、正義を持ち続けることは悪いことではない。
 むしろそうあるべきことだし、そうでなくてはならないとさえ思う。
 一方で自身が抱えるファンタジィを泣き喚いて押し付けるのと、現実社会に構築するためのロードマップを設計し具現の手段を模索するのはまったく異なることなのだ。

 技術者というのは感情を持たないわけではない。正義や倫理を持たないわけではない。
 むしろ人一倍の理想を持っていなければできないだろう。
 ただ感情やファンタジィだけでは何も解決しないことを知っているだけだ。

 自身の主観で物事を選り好みすることを否定する気はないが、そんなことをしていると日本の「仲良しごっこ政治」のように、理想も理念も見失うことになる(社会を設計し、構築するための技術集団としての政治家が、一体どれだけ居るのか僕は知らないが)。

 人間社会に理想は必要だ。
 一方で理想や倫理や正義は思想になり、人間の感情を揺さぶりもするだろう。

 何度でも言うが思想も結構、感情論も結構。
 ただそのエゴを他人に投げつけるようなことは僕にはできない。
 いや、できなくはないだろうが、したくない。

>>>>

 精神性の貧困は、結果的に不正を招く。

 建築なら古くは姉歯(構造計算偽装)、食品なら雪印乳業(これもかなり古い)、自動車なら新しいものはダイハツと、基準とそれにまつわる事件は昔からあり、未来にも無くなることはないだろう。
 問題があるたび新しい基準と監査機能を増設することでしか、この社会は対応できなくなっている。
 先進技術に溺れた人が慢心し、効率重視によって良心をすり減らした結果だ。

 テクノロジィという魔法は悪だろうか。その魔法を万能と錯覚してはいないだろうか。
 なにより良心とは何だろう。

 エンジニア(技術者)は、もちろん己の手を離れる製品が万全のものであって欲しいと願うものである。
 彼らこそ、この社会における科学という名の魔術をあまねく浸透させた(させてきた)魔術師なのだから。

 豊かさが何なのかといえば、それは多様性だろう。
 WHOだか何だかが掲げる、おためごかしのファンタジィではなく、文字通り、清濁併呑玉石混交とした、ともすれば混沌にも等しく思える、それが本来のありようだ。

 多様性と秩序の併存は、不可能ではないだろうけれど、容易なことではない。
 理想を訴えるだけ訴えて何もしないというなら、どこぞの宰相と同じではないか。
 いや、あれは訴えている理想もなさそうだから、もっとひどいものなのか。


<猫写真が見たいんだろう?>

>>>

 規制も結構、エゴも独善も結構。
 潔癖なる理想による独裁も ── 具現できるというならそれもまた結構。

 思い描いた理想郷を、それぞれに見せ合いながら、僕らは進んで行くしかない。
 何が正しい。いやそれは間違っているのではないか。
 そんなふうに互いに言い合いながら。

 くれぐれも正しさや誤りに、感情など必要ないということだけは忘れずにいたい。
 僕はつい忘れるので。


 
 



 

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::俺は、やはり、迷いはあるものの、剣の道へ進む。今はそちらだ。そのために、情を切る。それが侍の道だ、と今は思っている。そうだな、八割方はそちらだ。残りの二割が、あるいはあちらが本来の道ではないか、という未練。いいや、三割かもしれん。もの凄い美人が目の前に現れたときには、四割になるかもしれん。
::それは、なかなか危うい立場ですね。



 

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[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「Incense tone」From「The Fog Hider」
(著作:森 博嗣 / 発行:中央公論新社)
 によりました。


 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Traffics ]

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[Engineer]
  :工場長:青猫:黒猫:赤猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Color-Diary-Ecology-Engineering-Form-Love-Mechanics-Recollect-Style-Technology-
 
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Reactor-
 
[Object]
  -Car-Cat-Human-Koban-
 
 
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :青猫のひとりごと:いのちあるものたち:
夢見の猫の額の奥に:Webストリートを見おろして:
 
 
 
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