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TITLE:
当たらなければどうということはない。
SUBTITLE:
~ Nohit, nobody. ~
Written by BlueCat
Written by BlueCat
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::狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。生命にいたる門は狹く、その路は細く、之を見出す者すくなし。
::狹き門より入れ、滅にいたる門は大きく、その路は廣く、之より入る者おほし。生命にいたる門は狹く、その路は細く、之を見出す者すくなし。
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//[Body]
231221
姉の通院介助。
最近、妙に眠くて、1日に12時間以上眠ってしまう日が続いていた。
たまたま玄米を食べたくて仕方ない日があり(白米は得意ではないが、玄米の場合はときどき身体がそれを求める)、食べたその日から過眠気味になった。
数日前、妹が(確定申告関連の書類を持って)遊びに来る予定があり、それがリズムを取り戻すきっかけになった。
それでもカフェイン剤を飲まないと調整できずにいる。
冬季鬱かと疑ったが、気分は落ち込んでいない。むしろ眠りは心地よい。
恋人がいたときは最低でも月に一度くらいはデートするきっかけがあったので、家の中を掃除したり、体調を整えたりするのに丁度よかった。
今は定期的な予定が姉の送迎くらいしかなく、こちらから出向くこともありリズムが狂いやすい。
>>>
僕が軽自動車を好むことを知る人はあまりいない。身体が大きいからなのか、小さな車を好むとは思わないらしく、ときどき驚かれる。
自動車免許を取る前は「四駆のワンボックスワゴンで、あれもこれも積んであちこち出掛けたい」なんてことを思っていた。
しかし社用車のワンボックスに乗ったとき(取り回しが面倒くさいな)とまず思い、10年ほど前までは自動車に持ち込んだものをこまめに持ち出さない(必要な物しか持ち出さない)ため、車の中に使わないモノが溜まるという現象があった(これは価値観と習慣を変えたため、今は解消されている)。
あちこち出掛けると言っても、結局のところ、僕は引き籠もるのが大好きである。
キャンピングキャビンを軽トラに載せているのに、庭作業の際の休憩や急な来客の応接に使ってばかりだ。
時間とお金ならあるだろうに、旅行にも出掛けない。人混みが好きではないからだ。
姉妹に頼まれれば渋々行楽にも出掛けるし、恋人に乞われれば飛行機にも乗るし旅行もする。
しかし自分ひとりの自由は、それこそ誰もいない場所にあると僕は思っているので、他人に気を遣って遠慮して譲歩しているうちに疲弊してしまうような場所には行きたくない。
恋人と一緒の場合は、恋人が不安になったり危険な状況にならないように(かつそれと悟られないように)気遣うことになり、その上、状況を楽しまなくてはならないので本当に神経が擦り切れる思いをする(一見、楽しくなさそうにしていても「猫様、楽しそう」と理解してくれる恋人ならよいのだが)。
>>>
そうそう軽自動車の話だった。
昨今の軽自動車は小型車とさほど変わらないサイズのものが多く、あまり好きではない。
大は小を兼ねる、という価値観を否定するつもりはないものの、そんなに大きな車が良いならばそれこそ小型車なり普通車なりに乗ればいい。
ついでに黄色ナンバーが恥ずかしいなどとのたまう連中も普通車を買えばいい。
軽自動車は軽自動車にしかない魅力があり、その黄色いナンバープレートは誇るためにあるのだから。
まず軽自動車は設計要件がシビアだ。
車両サイズはもちろん、排気量660cc以下という法規制があり、出力64馬力以下という自主規制もある。
サイズが小さくなるほど軽量にしやすく、剛性も上げやすくなるが、設計の遊びが許されなくなる。
そうした制約の中で、必要とされる機能を詰め込んで行く技術が美しい。
たとえばそれは俳句のようなものだ。
苦悩を感じさせない完結の具現が、技術として美しいのだ。
分かりやすく例えるなら、少々困難な仕事で上々な結果を出した後に上司や同僚から「よくやったな」と褒められても「いやぁなんとかなっちゃいましたねぇ。皆さんのお陰ですよぅ」なんてぼんやりした顔をして、涼しく呟くくらいがカッコイイのである。
決して「大変でしたが努力しました」とか「こういう課題が発生したのですが、夜を徹して考えて、このように対策したのです」なんて偉そうにしてはいけない。
格好悪いからだ。
素晴らしい仕事は、見る人が見れば分かる。
だから仕事を終えたら、ぼんやりしていればいい。
達成による高揚を抑えて、努めて冷静に、平常を保って、こんなものは他人様からすれば些事だと言い聞かせて、ひとりで成功を噛み締めながらエンジンをクールダウンさせたほうが無難だろう。
つまり上記の文章から、僕自身がついついそういう高揚感で暴走しやすい性質だと観察することができる。戒めたい。
冷蔵庫から取り出した牛乳をパックから直飲みしているとき、母親(あるいは恋人、もしくは奥様)から「冷蔵庫開けっぱなしにしないでください!」と叱られたときと同じくらい迅速に、今閉めたい。
>>>
バブル経済の頃は、それこそ「より大きな車体、より大きな出力」という志向があった。
人々はこぞって、重くて喧しくて燃費の悪い高額な自動車を手に入れて自慢していたものだ。思えば哀れな時代ではないか。
少なくとも僕は当時から哀れんでいた(今も無駄に高額なだけの、鈍重な車両に魅力を感じる人はいるのだろうが)。
もちろんそのような人たちが自動車業界を回転させているお陰さまで、メーカは利益率の低い軽自動車の開発ができるわけなので特に文句はない。
ただオーナーの承認欲求を満たすために買われては売られる車たちを哀れに思っていただけである。
今、自分の乗っている自動車を「なんちゃってスポーツカー」と呼ぶのもそのためである。
出力も排気量も制限がない、本当の意味でのスポーツカーはごまんとある。
大きく重い車体を感じさせないほど高出力のエンジンで走ることの楽しさや、それを操作できる官能もあるだろうとは思う。
それに比べ、制約にまみれた軽自動車のスポーツカーもどきなど、レプリカだと嗤われても仕方ない。
しかし少なくとも僕は、そうした大きくて重い体を高出力で振り回す機械に、どういうわけか魅力を感じないのだ。
それに大きな(あるいは高級な)車両を上品に運行することはむつかしい。
狭い抜け道を大きな(あるいは高級な)車がエラソーに走っていると「ここはあなたの走るような場所ではありませんよ」と言いたくなってくる。
結局のところ、運転というのは人を表すのでもある。いや自動車の運行に限らず、道具の使い方、付き合い方に人間性が現れるのだ。
ために「この人は偉いふりをしたいがためにわざわざ大きな自動車に乗っているのだろうか、ご苦労なことだ」と思ってしまう。
それから、そんなに大きな車に乗ることがステータスだと思うのなら、どうして皆、大型トラックやトレーラ、バスを所有して運行しないのだろう。それが不思議でならない。
そうした反動もおそらくはあっただろう。
僕は狭い道が好きだし、僅かな隙間をすり抜けられる矮小さを好む。
どこかにも書いたと思うが、エアコンも所詮は軽自動車に搭載するクラスであるから、室内は狭いほうが圧倒的に高効率で有利だ。夏などすぐ冷える。
>>>
僕はダイハツのコペンに乗っている。
消去法で、他に乗りたいと思える自動車がなかった。
とにかく小さくて、オープンキャノピーにできて、そのとき現行で販売されているものが、コペンしかなかった。
(購入してしばらく経ったが、小さくて本当に可愛らしいと、今もよく思う)
しかも中古車が安く売っていれば良かったが、それさえままならなかった。
とはいえビッグモーターで買わなかったのは救いである。
ふとニュースを見たら、大騒ぎになっている。
あらあら、とは思ったのだが、そもそもどうでもいい規制が多いとは思っていたのだ。
オートライト(夜間消灯不可)の義務化など最たるもので、通学路付近やラッシュ時のほか曇天などでも点灯/消灯を操作する僕にとっては正直なところ不快ですらある。
もちろん灯火操作もしない(できない)低能が増えた結果の措置なのだろうから仕方ないとは思うのだが、低能に合わせた基準を法規制すればするほど低能にとって乗りやすい自動車が世に溢れるということで、それは却って危険にも思えるのだ。プリウスはよくコンビニを壊すと言うし(あはは、やだなぁじょおだんですよ)。
とはいえ法規制だから、これに従わない車両をリリースしたことはメーカとして問題だろう。端的に法を犯しているからだ。
型式抹消なんてされてしまえば、公道を走行することもできない。
電気系やエンジンで、走行に支障のあるレベルだったら困るなぁ、と思ってざっと眺めたが、衝突時の安全基準にまつわるものが多いようだ。
もとより軽自動車における衝突時の安全レベルなんてお察しである(それでも昔に比べれば解析設計により格段に安全性能が向上している)し、そもそも走行中の自動車が対人対物に衝突した際、ただで済ませようというのが相当に理想的な狂気 ── あるいは狂気的な理想 ── ではないか。
だから我々ハンドルを握る者は、安全な速度と方法で車両を運行するのだ。
車間距離を多めにとって、安全確認を怠らず、適切な速度で車両を操作する。
つまり個人的には、衝突時の安全基準なんて、どうでもいい。
当たれば誰かが死ぬ。運が良ければ怪我で済む。
そういう認識をすべてのドライバの意識に搭載するほうがよほども手っ取り早くて安全だと思うのだけれど。
どうやら免許試験(更新)だけでドライバーの質は上がらないらしい。
>>>
病院の駐車場で、警備員に「ダイハツのお車、大騒ぎになってしまっていますね」などと言われる。
もっともな話だ。ダイハツ車に乗っていない人ならなおさら騒ぐかもしれない。
しかしまぁ、ここだけの話、当たらなければどうということはないというのなら、そういう運転に努めるだけである。
何のことはない、今までどおり、いつもどおり、安全運転をするだけではないか。
もちろんそれ「だけ」のことがどれほどむつかしく、緊張を伴うものかは、ドライバにしか分からないのだが。
社会問題や法規制については僕の考えることではないから他人に任せておこうと思う。
ずっと乗っていられるといいな。
僕が思うのはそれだけだ。
誰かに自慢するためだとか、衝突時の安全のためだとか、価格が安いからとか、売却時の資産価値とか、そういう目的で購入した自動車ではない。
小さくて狭くて窮屈で不便で、それがいじらしくも可憐で素晴らしいのだから。

>>>
帰宅後、頭痛がする。
過眠頭痛である。
このところ連日服用ではあるが、カフェイン剤を飲む。
心理依存はないのだが、カフェインを摂っていると心拍数や血圧が一般的な数値に収まり、体調が安定する。
ある種の身体依存と考えるべきか悩ましいが、離脱症状があるというわけでもないし、強迫的に摂取したいわけでもないから放置している。
実際、カフェインを長期にわたって摂取しないときもあるのだし。
摂取しないと体調が悪いことを考えれば、ある種の投薬と考えてもよいだろう。そもそもカフェイン剤でハイになるような気質でもないし。
耐性があるのだと思うが、1日600mg程度摂取してようやく落ち着くこともあるから(コーヒーやお茶ならまだしも)製剤を飲むときは警戒してしまう。
もちろんニコチンであれアルコールであれ、セックスであれ食事であれ、僕を依存体質にするようなものは今までの人生には存在しなかったわけだから、流行の過剰摂取なんてものに手を染めることはないと思っているが。
家の空気が冷えて乾燥している。
暖房器具をふたつほど稼働させ、最近入手した茶香炉で、古くなった茶を焚く。
寒い夜だ。
静かで、素敵な冬の夜だと思う。
231221
姉の通院介助。
最近、妙に眠くて、1日に12時間以上眠ってしまう日が続いていた。
たまたま玄米を食べたくて仕方ない日があり(白米は得意ではないが、玄米の場合はときどき身体がそれを求める)、食べたその日から過眠気味になった。
数日前、妹が(確定申告関連の書類を持って)遊びに来る予定があり、それがリズムを取り戻すきっかけになった。
それでもカフェイン剤を飲まないと調整できずにいる。
冬季鬱かと疑ったが、気分は落ち込んでいない。むしろ眠りは心地よい。
恋人がいたときは最低でも月に一度くらいはデートするきっかけがあったので、家の中を掃除したり、体調を整えたりするのに丁度よかった。
今は定期的な予定が姉の送迎くらいしかなく、こちらから出向くこともありリズムが狂いやすい。
>>>
僕が軽自動車を好むことを知る人はあまりいない。身体が大きいからなのか、小さな車を好むとは思わないらしく、ときどき驚かれる。
自動車免許を取る前は「四駆のワンボックスワゴンで、あれもこれも積んであちこち出掛けたい」なんてことを思っていた。
しかし社用車のワンボックスに乗ったとき(取り回しが面倒くさいな)とまず思い、10年ほど前までは自動車に持ち込んだものをこまめに持ち出さない(必要な物しか持ち出さない)ため、車の中に使わないモノが溜まるという現象があった(これは価値観と習慣を変えたため、今は解消されている)。
あちこち出掛けると言っても、結局のところ、僕は引き籠もるのが大好きである。
キャンピングキャビンを軽トラに載せているのに、庭作業の際の休憩や急な来客の応接に使ってばかりだ。
時間とお金ならあるだろうに、旅行にも出掛けない。人混みが好きではないからだ。
姉妹に頼まれれば渋々行楽にも出掛けるし、恋人に乞われれば飛行機にも乗るし旅行もする。
しかし自分ひとりの自由は、それこそ誰もいない場所にあると僕は思っているので、他人に気を遣って遠慮して譲歩しているうちに疲弊してしまうような場所には行きたくない。
恋人と一緒の場合は、恋人が不安になったり危険な状況にならないように(かつそれと悟られないように)気遣うことになり、その上、状況を楽しまなくてはならないので本当に神経が擦り切れる思いをする(一見、楽しくなさそうにしていても「猫様、楽しそう」と理解してくれる恋人ならよいのだが)。
>>>
そうそう軽自動車の話だった。
昨今の軽自動車は小型車とさほど変わらないサイズのものが多く、あまり好きではない。
大は小を兼ねる、という価値観を否定するつもりはないものの、そんなに大きな車が良いならばそれこそ小型車なり普通車なりに乗ればいい。
ついでに黄色ナンバーが恥ずかしいなどとのたまう連中も普通車を買えばいい。
軽自動車は軽自動車にしかない魅力があり、その黄色いナンバープレートは誇るためにあるのだから。
まず軽自動車は設計要件がシビアだ。
車両サイズはもちろん、排気量660cc以下という法規制があり、出力64馬力以下という自主規制もある。
サイズが小さくなるほど軽量にしやすく、剛性も上げやすくなるが、設計の遊びが許されなくなる。
そうした制約の中で、必要とされる機能を詰め込んで行く技術が美しい。
たとえばそれは俳句のようなものだ。
苦悩を感じさせない完結の具現が、技術として美しいのだ。
分かりやすく例えるなら、少々困難な仕事で上々な結果を出した後に上司や同僚から「よくやったな」と褒められても「いやぁなんとかなっちゃいましたねぇ。皆さんのお陰ですよぅ」なんてぼんやりした顔をして、涼しく呟くくらいがカッコイイのである。
決して「大変でしたが努力しました」とか「こういう課題が発生したのですが、夜を徹して考えて、このように対策したのです」なんて偉そうにしてはいけない。
格好悪いからだ。
素晴らしい仕事は、見る人が見れば分かる。
だから仕事を終えたら、ぼんやりしていればいい。
達成による高揚を抑えて、努めて冷静に、平常を保って、こんなものは他人様からすれば些事だと言い聞かせて、ひとりで成功を噛み締めながらエンジンをクールダウンさせたほうが無難だろう。
つまり上記の文章から、僕自身がついついそういう高揚感で暴走しやすい性質だと観察することができる。戒めたい。
冷蔵庫から取り出した牛乳をパックから直飲みしているとき、母親(あるいは恋人、もしくは奥様)から「冷蔵庫開けっぱなしにしないでください!」と叱られたときと同じくらい迅速に、今閉めたい。
>>>
バブル経済の頃は、それこそ「より大きな車体、より大きな出力」という志向があった。
人々はこぞって、重くて喧しくて燃費の悪い高額な自動車を手に入れて自慢していたものだ。思えば哀れな時代ではないか。
少なくとも僕は当時から哀れんでいた(今も無駄に高額なだけの、鈍重な車両に魅力を感じる人はいるのだろうが)。
もちろんそのような人たちが自動車業界を回転させているお陰さまで、メーカは利益率の低い軽自動車の開発ができるわけなので特に文句はない。
ただオーナーの承認欲求を満たすために買われては売られる車たちを哀れに思っていただけである。
今、自分の乗っている自動車を「なんちゃってスポーツカー」と呼ぶのもそのためである。
出力も排気量も制限がない、本当の意味でのスポーツカーはごまんとある。
大きく重い車体を感じさせないほど高出力のエンジンで走ることの楽しさや、それを操作できる官能もあるだろうとは思う。
それに比べ、制約にまみれた軽自動車のスポーツカーもどきなど、レプリカだと嗤われても仕方ない。
しかし少なくとも僕は、そうした大きくて重い体を高出力で振り回す機械に、どういうわけか魅力を感じないのだ。
それに大きな(あるいは高級な)車両を上品に運行することはむつかしい。
狭い抜け道を大きな(あるいは高級な)車がエラソーに走っていると「ここはあなたの走るような場所ではありませんよ」と言いたくなってくる。
結局のところ、運転というのは人を表すのでもある。いや自動車の運行に限らず、道具の使い方、付き合い方に人間性が現れるのだ。
ために「この人は偉いふりをしたいがためにわざわざ大きな自動車に乗っているのだろうか、ご苦労なことだ」と思ってしまう。
それから、そんなに大きな車に乗ることがステータスだと思うのなら、どうして皆、大型トラックやトレーラ、バスを所有して運行しないのだろう。それが不思議でならない。
そうした反動もおそらくはあっただろう。
僕は狭い道が好きだし、僅かな隙間をすり抜けられる矮小さを好む。
どこかにも書いたと思うが、エアコンも所詮は軽自動車に搭載するクラスであるから、室内は狭いほうが圧倒的に高効率で有利だ。夏などすぐ冷える。
>>>
僕はダイハツのコペンに乗っている。
消去法で、他に乗りたいと思える自動車がなかった。
とにかく小さくて、オープンキャノピーにできて、そのとき現行で販売されているものが、コペンしかなかった。
(購入してしばらく経ったが、小さくて本当に可愛らしいと、今もよく思う)
しかも中古車が安く売っていれば良かったが、それさえままならなかった。
とはいえビッグモーターで買わなかったのは救いである。
ふとニュースを見たら、大騒ぎになっている。
あらあら、とは思ったのだが、そもそもどうでもいい規制が多いとは思っていたのだ。
オートライト(夜間消灯不可)の義務化など最たるもので、通学路付近やラッシュ時のほか曇天などでも点灯/消灯を操作する僕にとっては正直なところ不快ですらある。
もちろん灯火操作もしない(できない)低能が増えた結果の措置なのだろうから仕方ないとは思うのだが、低能に合わせた基準を法規制すればするほど低能にとって乗りやすい自動車が世に溢れるということで、それは却って危険にも思えるのだ。プリウスはよくコンビニを壊すと言うし(あはは、やだなぁじょおだんですよ)。
とはいえ法規制だから、これに従わない車両をリリースしたことはメーカとして問題だろう。端的に法を犯しているからだ。
型式抹消なんてされてしまえば、公道を走行することもできない。
電気系やエンジンで、走行に支障のあるレベルだったら困るなぁ、と思ってざっと眺めたが、衝突時の安全基準にまつわるものが多いようだ。
もとより軽自動車における衝突時の安全レベルなんてお察しである(それでも昔に比べれば解析設計により格段に安全性能が向上している)し、そもそも走行中の自動車が対人対物に衝突した際、ただで済ませようというのが相当に理想的な狂気 ── あるいは狂気的な理想 ── ではないか。
だから我々ハンドルを握る者は、安全な速度と方法で車両を運行するのだ。
車間距離を多めにとって、安全確認を怠らず、適切な速度で車両を操作する。
つまり個人的には、衝突時の安全基準なんて、どうでもいい。
当たれば誰かが死ぬ。運が良ければ怪我で済む。
そういう認識をすべてのドライバの意識に搭載するほうがよほども手っ取り早くて安全だと思うのだけれど。
どうやら免許試験(更新)だけでドライバーの質は上がらないらしい。
>>>
病院の駐車場で、警備員に「ダイハツのお車、大騒ぎになってしまっていますね」などと言われる。
もっともな話だ。ダイハツ車に乗っていない人ならなおさら騒ぐかもしれない。
しかしまぁ、ここだけの話、当たらなければどうということはないというのなら、そういう運転に努めるだけである。
何のことはない、今までどおり、いつもどおり、安全運転をするだけではないか。
もちろんそれ「だけ」のことがどれほどむつかしく、緊張を伴うものかは、ドライバにしか分からないのだが。
社会問題や法規制については僕の考えることではないから他人に任せておこうと思う。
ずっと乗っていられるといいな。
僕が思うのはそれだけだ。
誰かに自慢するためだとか、衝突時の安全のためだとか、価格が安いからとか、売却時の資産価値とか、そういう目的で購入した自動車ではない。
小さくて狭くて窮屈で不便で、それがいじらしくも可憐で素晴らしいのだから。

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帰宅後、頭痛がする。
過眠頭痛である。
このところ連日服用ではあるが、カフェイン剤を飲む。
心理依存はないのだが、カフェインを摂っていると心拍数や血圧が一般的な数値に収まり、体調が安定する。
ある種の身体依存と考えるべきか悩ましいが、離脱症状があるというわけでもないし、強迫的に摂取したいわけでもないから放置している。
実際、カフェインを長期にわたって摂取しないときもあるのだし。
摂取しないと体調が悪いことを考えれば、ある種の投薬と考えてもよいだろう。そもそもカフェイン剤でハイになるような気質でもないし。
耐性があるのだと思うが、1日600mg程度摂取してようやく落ち着くこともあるから(コーヒーやお茶ならまだしも)製剤を飲むときは警戒してしまう。
もちろんニコチンであれアルコールであれ、セックスであれ食事であれ、僕を依存体質にするようなものは今までの人生には存在しなかったわけだから、流行の過剰摂取なんてものに手を染めることはないと思っているが。
家の空気が冷えて乾燥している。
暖房器具をふたつほど稼働させ、最近入手した茶香炉で、古くなった茶を焚く。
寒い夜だ。
静かで、素敵な冬の夜だと思う。
// ----- >>* List of Cite Division *<< //
[出典]
~ List of Cite ~
文頭の引用は、
「マタイ伝福音書」第7章13節、および14節
「マタイ伝福音書」第7章13節、および14節
によりました。
// ----- >>* Junction Division *<< //
[NEXUS]
~ Junction Box ~
// ----- >>* Tag Division *<< //
[Engineer]
:工場長:青猫α:青猫β:黒猫:赤猫:銀猫:
[InterMethod]
-Algorithm-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Interface-Link-Mechanics-Stand_Alone-Style-Technology-
[Module]
-Generator-Reactor-
[Object]
-Car-Human-Night-Poison-Tool-
// ----- >>* Categorize Division *<< //
[Cat-Ego-Lies]
:ひとになったゆめをみる:
//EOF
