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TITLE:
滅びの詠を聴かせてあげる。
SUBTITLE:
~ The mutiny is as muting as mutation. ~
Written by BlueCat

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::こうしてくれるなら、これだけあげましょう、というのは、普通のことではありませんか。つまり、お互いに利のあるものを交換するのだから、商売のうちのように思いますが。

::ええ、それが普通の仕事、つまり個人の営みであれば、問題ないのです。しかし、公の役職にある者は、本来その人間ができること以上の権限を、一時的に任されているわけです。公のもので、特に政(まつりごと)には、そういった役目が沢山あります。となると、そういう役職の者は、皆に等しく接する必要がある。ある特定の者に便宜を図ったのでは、任された権限を悪用したことに等しいのです。正しいものを差し置いて、金を沢山持ってきた者の言うことを聞くことになります。ときには、明らかに罪になるようなことを許したり、逆に、まったく罪のない者を捕らえて牢に入れることだってできてしまう。そういう権限が金によって左右されていては、世の秩序が乱れます。


 

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//[Body]

 BP(高校からの友人)のことを20代になるあたりから「先生」と呼んでいる。
 一般代名詞や敬称のようにも感じられるそれが、実は彼のニックネームである。つまり彼に与えた固有代名詞だ。
 理由は彼のことを僕がちょっと見くびっているからなのだが、事情を知らない人がそれを見ると、ことあるごと「先生」と呼ばれるBPや僕との関係に少々誤解が発生するのでそれも含めて楽しい。

 バブル経済の頃、風営店の呼び込みに現在のような規制はなく「社長!」「先生!」と謎の代名詞によるキャッチが横行していた。
 ちょうどフィリピンパブなどが流行った時期だったからなのだろうか。
 多くの大人たちが、社長でもない人を社長と呼び、先生でもない人を先生と呼ぶ風潮があった。
 景気がよかったからこそなのか、学生起業家がニュースでも持てはやされる時代背景の中、個人事業主であろうと「社長」が今よりずっと手軽にありふれて転がっていた。

 そんな世相にあって「社長でもないのに社長と呼び、先生でもないのに先生と呼ぶのは、本質が違うのだから相手を馬鹿にしており失礼だ」と言ったのは上岡龍太郎氏だったか。
 なるほどそのような敬称で呼ばれて喜ぶ低能も世の中には居る。ために、おだてることを目的にそのような敬称を使う。
 おだてられる方も大概だが、おだてる方もたいした低能ではある。

 これは面白いと思い、BPだけでなく「これは!」と思った相手を、適合しない属性の敬称で呼び掛けることにしている。
 同じ低俗の汚名を(人知れず)着せられるのだが、にも関わらず、それは今なお魅力的な遊びである。

 無論BPにもこの原理は説明してあり、にもかかわらずBPはそれ(彼を見くびり、馬鹿にすること)を僕に許容してくれている。
 周囲の人は、同級生であるところの僕が彼を「先生」と呼ぶ風景を不思議に思うだろう。
 もはやそれは僕らの中では嘲弄ですらない。

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 コンピュータプログラムによるプロジェクトを長期間運用したことのある人は分かると思うが、ひとつのシステムを運用しながら修正や改善を図るうち、完全刷新することが最適化として相応しいと判断される段階に到達することがある。

 システムの総体が肥大し鈍重になり、新しい環境に古い言語の互換性を強要して齟齬が重なり、更なる追加修正を余儀なくされる。
 そうやって柔軟性を失い、硬化し、質量を増して鈍くなり、冠動脈硬化による梗塞を起こした心臓のように、全体に対する機能不全を誘発する。

 コンピュータプログラムの場合、最新の環境に合わせ、修正パッチなど当てていない「正しい状態」を再構築した方が、システムは軽快に、速く正確に、適切な処理を行うことができる。
 もちろんその再構築というのは1から作り直すことであるから、手間も掛かるし気力も必要になる。
 業務として行ったり組織として取りかかる場合、それ以外にもいくつかのリソースが必要になるだろう。
 だからついついシステムエンジニアというのは、既存の動作しているプロジェクトにおける根幹をなるべく書き換えることなく、修正することで問題を回避しようと考える。場合によっては新規実装する予定の新機能をお蔵入りにする方が、相殺したリソースの損失が少ないと判断されることもあるだろう。

 長らくコンピュータプログラミングなどしていないが、システム構築の基本を僕はそのように心得ている。
 ソフトウェアに限らず、コンピュータに限定されず、ありとあらゆる構築物、人工物、生産物にこれは適用される傾向であり、おそらくは摂理である。
 たとえば衣服に開いた穴に継ぎはぎ(これもそういえばパッチと呼ばれる)を当てれば、本来の機能(保温や肌の保護や美装)を果たすことができるかもしれない。
 一方で仔細に見れば美観は損なわれ、一時的に向上したと思われる強度も長期的には大差なく(同じ部分が損壊したり、次に弱い他の箇所が痛んだりする)、
延命というのは、あくまで延命に過ぎず、永遠の命をもたらす魔法などどこにもないのだと思い知る。

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 反政府組織を一向に結成する気配のない弟子が電話を掛けてくる。
 政治家のお金にまつわるスキャンダルが騒がれている、と騒いでいる。

 ちょうど最近、政治家になろうと思っていたのだと話す。
 めちゃめちゃ楽でお金が儲かる。ついでに各種税金に優遇措置がある。相続税も方法次第で掛からないらしい。
 これはオカネモチーになったら一度は考慮すべきことではなかろうか。

 現状で所属するなら自民党だが、自民党に限らず、与党がよい。
 巨大組織にあって、椅子取りゲームの議席を埋める頭数として用意されたタレント議員のように、とくに何もせず、上席におもねり、イエスマンに徹し、党なり派閥なりの最終意見に迎合しておけばよい。あとはのんびりぼんやり、議席で昼寝をするだけだ。昼寝なら得意だ任せておけ。
 多数決原理で物事の正当性を主張することを根幹とする日本国の民主主義システムにあっては、正しく多数派に属することに意義がある。
 議席での発言は、おそらく誰かがシナリオを書いてくれる。
 何となれば個人の政治思想や政策も、誰かが用意してくれるだろう。

 答弁の問題と解答も文書で用意されているから、あとは朗読するだけだ。朗読なら得意だ任せておけ。
 アドリブが必要な場面もあるだろうが、テキトーなことをなんとなくそれっぽく、深く物事を考えているかのように思わせつつ実は何も言っていないということをさせるとなかなか優れた能力を発揮する僕の特性にぴったりである。テキトーで中身のない発言は任せておけ。
 いざとなれば誰かの思い付いた(これまたテキトーな)フレーズをまるっとパクって「適切な時期にご説明いたします」とか「現在は係争中ですので」とか「捜査段階にあるため」などともっともらしく言い訳をして凌げばよい。言い訳なら任せておけ。

 こう考えると僕は政治家向きな気がするのだ。あとは世襲させる子供が居れば完璧だろうが、そんなものはあとからいくらでも用意できる。
 女性にだらしないので失脚材料も手軽に用意できる。スキャンダルも得意だ任せておけ。

 ひとたび与党の政治家になれば、金で権力を買いたい企業が放っておかないだろう。ボロ儲けである。非課税で様々な特権まで用意されている。
 きっと人々から「先生」「先生」と、先生でもないのに褒めそやされることだろう。メカニズムを心得てなお、錯覚というのは発生する。
 自分が偉くなったような錯覚をするのも得意だ任せておけ。

 今のところ僕は庶民なので、Webニュースなどを見ては「国民を馬鹿にするな」などという書き込みを目にすることもあるが、彼らはそもそも国民を馬鹿になどしていない。そういうのはそれなりに近しい対象に抱く評価なのだ。
 たとえば僕らが気付かず小さい昆虫を踏み殺したとき、相手を無視したり馬鹿にした結果踏み殺しているだろうか。そんなことはあるまい。
 ゴキブリや熊を殺すときも同様、恐れこそすれ、馬鹿にしているから殺すわけではあるまい。ただ邪魔なだけだ。
 人を人とも思わないのも得意だ任せておけ。

 そのようなわけで、お金は儲かるわ先生と呼ばれて尊大に振る舞えるわクズどもを無視して嘘を吐いて昼寝をして特権を振りかざしてテキトーで中身のないことを体現すればよいのだからこんなに僕に適した職務はない気がするのだ。
 
 
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 それではと、今から経済を敵に回して共産主義国家になった場合どうなるかというのは、昨今の共産主義国家首長の専横から明らかである。
 経済であろうと権力であろうと、平等を求め、それをシステムとして体現しようとしたはずなのに、自由競争をさせても、協調分配させても、結局特定の領域に集中してしまう。
 これはおそらく集団の持つ特性だ。大量の水を穴に落とすと渦ができる。あれと同じようなものだろう。

 それが摂理や原理だったとすれば、抗うだけ無駄というものだ。
 水は低きに流れ、質量の高いものは他のものを引き寄せる。
 僕の手がガールのおっぱい(高質量)に引き寄せられるのもまた自然現象である。

 問題はそれらの原理摂理を心得た上で、いかなる設計をして、どのように具現実装するかだ。
 でも大丈夫。そういうのは優秀エリートとして褒めそやされて育った誰かがシナリオを用意してくれるはずだから。
 そのエリートにはこれまた優秀エリートの上司がいて、エリート組織が適切な未来を設計して誘導しているはずだから。
 様々な自然的、人間的、組織的、集団的、原理原則摂理を心得た誰かが、綻び続けるシステムに新しいパッチを当てて、万事最適化されるのだ。

 ── 本当に?

>>>

 生命には死がプログラムされている。

 誕生があり、成長があり、増殖(生殖)があり、死がある。

 環境は変化し、システムは最適化を繰り返し、パッチを当てて順応する。

 やがてシステムの総体は肥大し鈍重になり、新しい環境に古いシステム根幹の互換性を強要して齟齬が重なり、更なる追加修正を余儀なくされる。

 そうやって柔軟性を失い、硬化し、質量を増して鈍くなり、冠動脈硬化による梗塞を起こした心臓のように、全体に対する機能不全を誘発する。

 我々が望み、導き、至るのは繁栄か、衰退か。あるいは死か、再生か。

 それとも。
 自分がよければそれでいいのか。
 独善と利己なら得意だ任せておけ。







 

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::では、それはしてはいけないことになっているのですね?

::そうです。そう定められています。しかし、実情はそうではない。裏でこっそり取引をすれば、取り締まることも難しい。ただ、大きな金が動くことがあるので、度が過ぎると、表からもわかるようになりますね。



 

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[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「episode 2: Trick sword」From「The Skull Breaker」
(著作:森 博嗣 / 発行:中央公論新社)
 によりました。

 
 

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[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Better Half ]
[Engineer]
  :青猫:黒猫:銀猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Chaos-Diary-Ecology-Engineering-Eternal-Kidding-Life-Link-Mechanics-
[Module]
  -Condencer-Connector-Convertor-Generator-JunctionBox-Reactor-Resistor-Transistor-
 
[Object]
  -Friend-Human-Koban-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :いのちあるものたち:ひとになったゆめをみる:
 
 
//EOF