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TITLE:
書架づくりとお嬢様のメカニズム。
SUBTITLE:
~ Familiar. ~
Written by BlueCat

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220214
 
【書架づくり】
 BPと書架を作る。
 彼の子息が大学に進学するらしく、そのために新しい書架を必要とし、それを自作することにしたらしい。
 昨日の夕方は「買ったはいいが、カットサービスも軽トラ貸し出しサービスも時間外で対応してもらえない」ということで、片道30分ほどのホームセンタまで呼び出された。
 
 僕のこれまでの経験で、自分の人生をちょっと豊かにしてくれるかもしれないもののひとつを紹介しておきたい。
 それは軽トラだ。
 軽トラを持っていると、個人の生活する上で運搬の必要が発生する物はだいたい運べる。
 ダブルベッドだって運べるのだから、あとはロープワークやクッションに使うもの(毛布だとか、ゴムマットだとか、養生シートだとか)を積んでおけばいい。
 
 それともうひとつ。
 軽トラを持っている友人がいると非常に便利だ。そいつが無職でだいたいいつもヒマなら完璧だと言っていい。
 
 さらに言うと、軽トラを持っていて無職のついでに、いろいろと便利で使い勝手のいい工具をいくつか持っているとさらにいい。
 たとえばチェインソウ、丸鋸、2000mm程度の定規、カンナやグラインダやサンダー(雷ではない。自動ヤスリの方だ)、電動ドリル、電動ドライバ、高圧洗浄機やスチーム洗浄機などなど。
 
 もちろん僕はBPたちの人生を豊かにするために軽トラを持っているわけではないし、彼を豊かにするために無職でいるわけでも工具をそろえているわけでもない。
 たまたま僕にとって僕が一番の友人だから、軽トラを持って無職で工具持ちの奴は便利だなぁ、と思っているだけだ。
 もちろん、急に呼び出されて便利使いされている事実は否定の余地もないが。
 
 
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【親としての友人】
 作っている途中、BPの子息がやってくる。
 彼に会うのは数年ぶりだ。
 身長が僕より高い。すらりとして精悍な見た目をしている。
 利発そうな目をしている。
 もう子供よりはるかに優れた見当識を持ち、10代相応に経験を積み、思考力を持っていることが分かる。
 
 少々面白かったのは、僕が父親としてのBPというものをあまりみたことがなかったことだ。
 特に、幼児の場合はペットのようなものだからさしたる面白みはないのだが、遠くない将来に成人を迎える青年と、その父親としてのBPという関係性を、会話などから見ることはなかった。
 
 おそらくBPにしてみれば、書架は買うより自作する方が安いから、という理由だったのだろうと想像する。
(僕の場合、買えば済む家具は買ってしまうが)
 しかしこうして普段から密接にそばにいて、何かを作ってくれたり都合してくれる父親というのは、息子から見ても、とても良いものなのだろうと想像できる。
 その人間関係のありようを見て、うらやましくもあり、心のあたたまる気がした。
 
(後々確認したところ「欲しいものがある」と子供に言われたとき、「まず自分で作ってみなさい」という方針で今までやってきたらしい。それで「それなら棚を作ってみてよ」という流れで作ることになったとか。個人的に、すごく好きな考え方である)
 
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【家族について】
 僕はたまたま家族を持たない選択をして現在に至る。
 子供の頃からそうだったから、今だに家族としてうまく振る舞う機能を僕は持っていないだろう。
 家族というのは道具ではないから、自分の都合で作ったり使うわけにはいかないものだ。
 
 僕自身はこれでいい。
 そして周囲に、あたたかい人間関係のぬくみを感じるとき、幸せを感じる。
 
 おそらく僕は孤独なのだろう。
 そして人間や人間関係、あるいは人間同士の信頼というものに、何らかの疑義を感じ、あるいは猜疑を生じた傷跡があるのだろう。
 しかしそれらがなければ、僕以外の誰かの人間関係のあたたかさを見て、素敵だとか、幸せだと、思えなかったかもしれない。
 
 正直なところ、家族というものを持つ面倒くささも想像がつく。
 それに伴う責任について、そもそも野良猫のように無責任な僕は考えるだけでもげんなりしてしまう。
 ために僕は家族を持つことに向かない。
 
 僕の子供の頃の記憶を、価値観を、捏造しようとしている最中だからこそ、あるいは捏造されて機能する部分が発生しているからこそ、家族という機能に対する好感を持てるようになったとも言える。
 
 僕にとっては好き勝手に生きて、好き勝手に死ぬ方が楽しくて、大切で、なにより優先すべきことなのだ。
 だから家族を作るという選択を、僕はしないままに生きている。
 仮に恋人が増えるとしても、恋人は結局(一部の例外を除けば)家族ではない。
 
 家族(あるいはそれに等しい恋人)というのが何であるかについて、僕の言語系定義と、非言語系定義は異なっている。
 非言語系定義によれば、家族というのは、好き勝手に生きて、好き勝手に死ぬことを許容してくれる人のことだ。これはほとんど「愛されている」に等しい。
(ちなみに、冬、雪、月、死などはこれに該当するタイプの恋人である)
 しかし言語記述だけでこれを理解しようとすると、ちょっと意味が分からないかもしれない。
 
 言語系定義によれば、家族というのは、もう少し一般論寄りの、即物的なモノとしての概念に近い。
 
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【ウマ娘】
「ウマ娘」で無料ガチャが1回できる様子だったので ── いちいち溜め込むようなことはしない ── 回したところ、いきなりメジロアルダンが出てきた。多分、ピックアップだろうけれど、それにしてもまたお嬢様である。
 
 正直なところ、育成ウマ娘は、もう増やしたくない気がしている。
 1日1回育成すればいい方だ(2、3日、放置することもある)し、新しいキャラを手に入れたら、真面目にストーリィを追って見たくなる。
 しかし2時間もスマートフォンのゲームに費やすのは、ちょっと重い。
 ましてウマ娘の育成は、楽しくラクなシーンだけではない。
 ステータスがろくに上がらず、コンディションが低下し、レースに勝てず、チームレースも負ける、という悪循環が続くこともある(途中でリタイアすることもある)。
 
 最近の育成における個人的な旬はメジロドーベルとエイシンフラッシュである。
 ちなみに昨年11月に欲しいと書いたトーセンジョーダンは、今回同様、年始あたりの1日1回の無料ガチャあたりで急に出てきた。
(「ブログに書いた欲しいものはだいたい実現する」ジンクスがまた実績を重ねてしまったことになる)
 
 すでに現時点でビワハヤヒデ(クリスマス仕様)を手つかず(一度も育成していないまま)で放置している。
 この上、メジロアルダン(お嬢様)である。
 そういえばシンボリルドルフも、ミホノブルボンも、この「無料券1回でいきなり引く」パターンだった。
 とにかく「ウマ娘」において、育成ウマ娘を増やして育てられるのはヘヴィユーザだけだ。
 私のようなライトユーザはサポートウマ娘を増やし続ければそれでだいたいOKのはず。
 まぁ、どのウマ娘のストーリィも、好きなのですけれども。
 2時間はつらいし、でもときどきちゃんとストーリィを観たくなるし、でも1回の育成で2時間はやっぱりつらいから、なんだかなぁ、と思うのである。
 
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【恋人にお嬢様が多かった】
 満を持して(というわけでもないか)、恋人にお嬢様系が多かった話を書いておこう。
 
 僕の恋人は、お嬢様系の人が多かった。
 お嬢様系のすべての人が、もう少しお淑やかだったら良かったのだが、良くも悪くも田舎なので、さほどでもないケースが多かった。
(言葉遣いも思考回路も、非常にお淑やかな人間型の恋人は2人しかいない)
 ここでいう「お嬢様」というのは、端的に言えば「親(あるいは世帯主、もしくは経済主体)の職業が自営もしくは会社経営者で経済的に豊か」ということになる。表記についてはあまり気にするな。オトナにはいろいろあるんだ。
 
 子供の頃からそういう傾向があったのだけれど、自分ではあまりそのあたりのメカニズムが理解できずにいた。
 
 最近になってある程度分析した結果として、総中流社会におけるサラリーマン世帯というのは「みんなとおんなじ」であることを一つのコモンセンスとしがちである。
 集団というのは基本的に、群に対して優れた性質であろうとも突出してさえいれば異端と見なす傾向がある。── 衆に劣り、集団の害となる場合はなおさらだ。
 
 これは総中流社会におけるサラリーマンという群れの集団を構成する多くの個体にとって、絶対的ともいえる資質であり、哲学であり、センスだったのではないだろうか。
 横を眺めて、だいたい同じ程度の存在であることを、それとはなしに体現することで「私はあなたに害為すものではありません。同じ種類の存在で、お互いこの集団に帰属するにふさわしいはずです」というアピールをしていたわけだ。
 
 草食動物やイワシなどの比較的小さな魚が群れを作るのと同じである。
 突出するものは、その性質の良きにつけ悪しきにつけ、その時点で集団に適さないのだ。
 
 おそらくそうした「一般的な帰属性を必須とした環境に生きる親」の元で育ったサラリーマン家庭(ここには一部の公務員も含まれる)の子供たちは、集団という規範を優先することを教え込まれることになる。
 家庭も必然に、協調性を重んじたはずだし、親もそれぞれに、集団帰属性を持ち、それを発揮したはずだ。
 
 
【お嬢様と集団帰属性】
 ではお嬢様はどうだろう。
 その親(あるいは世帯主、もしくは経済主体)が自営である、もしくは会社経営者である場合、これらはいずれも集団帰属性を強く持つ必要がない。
 むしろ集団帰属性という点においては劣る人たちでないと、自身で物事を切り盛りすることが出来ないとさえいえる。
 そういう親は「みんながこうしている」という論調には意味を見いださない。
 集団が特定の方向に一定速度で流れるとき、動きを止めたり、倍速で進んだり、逆方向に向かうのが、集団帰属性を持たない個体の特徴だからだ。
 
 ために彼女は「みんなおんなじ、なんていうことは幻想である」ことをそもそも知っている。
 自分と他の人たちが、そもそも違っていて、他の人たちの集団に自分が帰属できないことを、なんとなく肌で感じて育つ。
 物質的にもそうだろうけれど、環境がもたらした哲学や、センスも同様だ。
 
 皆と同じように感じ、皆と同じように考えることができないという事実をごまかすことができない。
 経営者たる親は「かくあれかし」と、集団帰属性を求めたりはしないからだ。
 衆に秀でる個体を育てようと思ったら、集団帰属の必要は二の次三の次だからだ。
 
 一方、サラリーマン家庭では「コモンセンス」に同調することが第一義となる。
 家庭でも、学校でも、会社でも、それは変わらない。
 集団に同調することが優先され、ために過剰な個性の発露は禁止され、子供は必然に、己の過度な個性を隠し、あるいは忘れることで自分を集団に同調させる。
 
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 念のために書いておくが、どちらが優れていて、どちらが良い、という話ではない。
 いずれにも長所短所は存在し、向き不向きもある。
 経験上、僕のような凡人が非凡なフリをするのは本当に大変だし、真に非凡な才を持つ人が、凡人どもに歩調を合わせるのも相当な苦痛だろうと想像する。
 
 集団に同調する能力によって自身の過度な個性を削ることは ── 少なくとも集団において ── 個性を過剰に発露することで全体のリズムを乱す害悪よりはよほども素晴らしいことだ。
 個性個性と声高に訴える「社会」という集合体を、だから僕は薄気味悪いと感じる。
 
 集合体は草食動物や弱者によって主に構成される。
 個を重んじる個体は、力学的に集団から外れるものだ。
 皆が皆「個を重んじよう」なんていう集団は、すでに集団を分解させるベクトルの集合ということになる。
 集団として力学的に矛盾しているのだ。
 
 群れからはぐれた弱者は、強者のエサになるだけだ。
 少なくとも現時点での日本社会は、集団帰属性とともに結束力を失い、愚かしく空腹を満たす欲にのみ支配された個体も散見される。
 同調圧力によって形成されていた協調性や、建前ばかりの良心や賢さ、お仕着せの文化であろうと、ないよりはましだ。
 たとえば首輪と鎖で繋がれていれば、野犬だって役に立つことはある。
 戒めを解くとケダモノになる種類の人間は、いつの世にもいるということだ。
 
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 お嬢様は多分、ある種の孤独を抱えるようにできている。
 それは人間が本来、持って生まれた孤独でもある。
 集団に帰属できない要素を自覚する者は、その要素が故に孤独を感じることになる。
 自分の帰属している(と指定された)集団を、安易に信じることは出来ない。
 自分は他人と違い、他人もまたそれぞれに違う。
 共通項が誰とでも何かしらあるのと同じように、非共通項も必ず存在する。
 そのごく当たり前のことを、当たり前に認識する。隠蔽する必要はない。
 
 ために彼女は、僕のような「集団から完全に逸脱している(しかし群に秀でているわけではない)個体」を、最初から嫌悪し除外する必要がない。
 
 集団帰属能力高い系女子ならば「青猫クンは、変人(もしくはヘンタイ)だからキラ〜イ!」と断ずるだろう。
 集団帰属性を持たないものは、家庭的でもないし、能力も劣っているに違いない。
 そもそも集団に帰属しないことは「悪いこと」なのだ。
 だからそういう「ちょっと(あるいはすごく)変わったヤツ」とはお近づきにならない方がいい、という判断をするのは至極当然といえる。
 
 結果、僕はいわゆる「フツーの」「サラリーマン家庭の」ガールにはモテにくい。
 言葉遣いも立ち居振る舞いも、他の多く居る「フツー系男子」とは異なるのだ(多分)。
 
 まず僕は(群馬生まれ群馬育ちなのに)群馬弁を使わない。正確にはあまり使ったことがないから使えない。
 父上が東京生まれで(江戸弁ではない)家族のほとんどは標準語を使っていたし、子供の頃から本を読んでいたので文語を使用する頻度が高かった。
 母上は栃木の生まれで、歌うようなイントネーションで話すことが多かったものの、言い回しが独特な部分があり、真似をする機会はほとんどなかった。
 ついでに僕は女性に囲まれて育ったので、男の子たち特有の粗野な言葉遣いとも無縁だった。
 これだけでも群馬ボーイズたちの集団に帰属できない。
 結果、僕は(特に群に秀でるわけでもないのに)目立つのだ。
 
 おそらくお嬢様以外であっても、こうした「目立つ変わり者」に好意を持つことはあるだろう。あったと思う。あったはずだ。あってくれ。頼む。
 しかしコモンセンスたる「集団帰属性」を発露しないイキモノに対して、どのように接するかというルールを彼女たちの多くは持たない。
 それらは忌避されるべき特性で、通常、嫌われたり、叱られたりする対象のはずなのだ。
(僕はたまたま子供の頃から猫だったので、叱られたり嫌われたりすることが少なかったようだ)
 
 お嬢様たちは、多く、コモンセンスに則ったルールを持たない。
 観察の範囲では、やはり家庭環境に端を発し、自身で考えることが必要だったからだろう。
 
 何のことはない。
 自分で考えることが出来るかどうかという点において、アドバンテージを最初から持っていたというだけのことである。
 そして集団帰属性が高ければ高いほど、自分で考えることが邪魔になり、やがて億劫にさえなるのだ。
 
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 しかしこのメカニズムを、どうにかして10代の頃の僕に伝えたい。教えたい。学んで欲しい。
 そうしたら10代のうちから滅茶苦茶モテていたのではないだろうか。
 
 あ。でもでも。
 大多数の「フツー系女子」にはやはりモテようがない気はする。
 いや、出来る。デキるはず!
 まあでもいいか。10代の頃から、他にしたいことがいくらでもあったのだから。
 
 なんてことを書いているうちに、バレンタインデーが終わった。
 終わってから気づいたので、今日を僕のバレンタインデーとする。
 
 何をすればいいんだ。
 
 
 
 
 
 
 

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  :青猫α:青猫β:黒猫:
 
[InterMethod]
  -Algorithm-Darkness-Diary-Ecology-Engineering-Interface-Link-Mechanics-Memory-Stand_Alone-
[Module]
  -Condencer-Convertor-Reactor-Transistor-
 
[Object]
  -Friend-Human-Memory-
 
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[Cat-Ego-Lies]
  :おこと教室:ひとになったゆめをみる:君は首輪で繋がれて
 
 
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