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// TimeLine:20200706
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TITLE:
あなたは「買える人間」でしょう?
SUBTITLE:
~ Are you the economy? ~
Written by BlueCat
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::侍は戦うものだ、という基本がある。それが、侍の価値だと教えられる。だから、戦わないことは、自らを否定することに等しい。だが、侍も人間、侍も生き物だ。動物は、けっして戦いを好まない。意地というものはない。それは、人間が教えられた道理であって、頭の中で描いているただの幻。その幻のために自分の命があると信じ、ときには、生きることよりも死を尊ぶ。
生きるとは負け続けること、死ぬとはもう負けぬこと、という言葉がある。
生きる死ぬはわかる。わからないのは、勝つ負けるだ。
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たまにはみんなの大好きな経済の話を。
はっきりいえばこれはサービスであるが、誰もこんな内容は信用しないだろうし、そもそも読者は少ないので何を書こうと問題ないだろう。
僕は以前に書いたとおり経済活動としては消費するくらいしかしていない。
一般認識でいうところの投資や投機はしていないし、YouTuberでもない。無職なので経済的労働もしていない(まだ公開している文書にはないが、依頼された仕事も無償でこなしている)、相続そのものは完了していないので、相続した預貯金なんてものもない。
米と塩を買ってささやかに暮らしている。
だから、ホームレスのように経済から縁遠い。そういう人間の語る、白昼夢のうわごととでも思ってもらっていた方がいい。
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経済が先進国を席巻しているのは誰でも知っているとおりである。
また、法整備が進むほど人間の命に値段を付けていることも知られているだろう。
たとえば最低賃金というのは、労働に適応した人間の命が、労働している状況下において1時間あたりどれくらいの価格になるかについての規定である。
バブル期以前は「人間の命に値段は付けられない」とされていたが、現在では「生活保護制度なんかやめてしまえ」という風潮である。
つまるところ、経済価値を持たない人間は値段という価値がつかない。
その意味において、僕は安いオトコである。1円にもならない。
早くて安くても、ウマければモテるらしいから、そういう方面に特化するのもアリだろうか。
もとより自身を「遺伝によって高額な医療費が掛かったり(そして制度によってそれが減免されたり)、重度障害を負う可能性が高い」と、子どもの頃から把握して生きてきた。
だからどちらかといえば、社会(あるいは集団)が、そのリソース(経済については、あまりリソースとして認識したことがないが)を個体に対して過剰に浪費することには抵抗があった。
(明言したことはないかもしれないが、ために結婚や子供を作ることに抵抗があったし、この血を根絶することはちょっとした生きる上での楽しみ(あるいは目標)ではある)
だからある程度以上、生活を自立できない個体を生かすことは社会のリソースの消耗でしかない、というようにも思っている部分があった。
その思想は行き過ぎれば、介護や福祉を必要とする人間を、社会に寄生する者として排斥することが、社会全体の優位性や健全性、公平性を長期的に維持するという極端なものにも行き着くだろう。
優生保護法や、過去に介護施設であった殺傷事件なども似たような思想が根底にあるように感じている。
社会が未来に先細りを感じるとき、現状の弱者は不要なものと見なされ、切り捨てられる可能性がある。
生活保護受給に関するネットニュースなどでの否定的なコメントでは「最低限の生活をする権利」を不正に利用する人間に対する怒りや憎しみを超えて、社会的弱者が、相対的には強者である社会全体のリソースを無益に使っていることを非難している光景を見ることもある。
「生まれたばかりの赤ん坊が何の役に立つでしょうか」と言ったのは、ファラデーだったかフランクリンだったか、僕には曖昧なのだけれど、弱者を切り捨てることは、豊かさを失うこと、あるいは失っている状態そのものなのだろう。
経済的に自立して、社会に貢献している個体以外は必要ない、というのは刹那的な経済至上主義である。
義務教育も不要だとなりかねないし、定年を迎えたら自活できない個体は自害しろということだろう。
幼稚園や保育園の数が足りない、あるいは教育者の就労条件が粗末なものである、にもかかわらず国家が「可能な限り人間は年齢に関係なく労働し続けましょう」としているのは、すなわち国家がすでにジリ貧なのだろうとさえ感じさせる。
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経済というものの位置づけが、変わるだろうと僕は思っている。
仮想通貨(現在は暗号資産に名称が変わった)というものが現れたとき、現行の経済とは異なる信用の担保によっているから、現行通貨による経済を変化させるかな、とは思っていた。
もっとも僕は端で眺めているだけなので、投機も含めて暗号資産に手出しをしたことはないが。
ただ、結局のところ多くの人はイデオロギィより己の損得の方が好きなようで、暗号資産そのものは現行経済の掌握下になろうとしているように観察される。
つまり本来的に現行経済という権力/勢力に対抗する目的を含んでいたはずの新興経済が、その反抗の芽を摘まれたように見える、ということである。
経済は、その手続きがあらゆるものを数値化するために利便性を高め、それを利用しているはずの人間そのものの価値さえも裁量し、時に人間を支配するようになっている。
もちろんそれは経済が悪いのではなく、経済の運用方法、位置づけが悪いのではある。
けれども経済至上主義というのは結局、そうしないと人間が生きられないという錯覚を植え付けることによって成り立っている。お金がなくても生きていけるという発想を、僕たちは経済によって殺されている。不可能だと決めつけている。
頭のイカレた恋人が「あなたは私がいなければ生きられない」という状況を作るためにせっせと環境を整備するのにも似ている。斧で脚を切らないでください。
人間同士がやりとりするための道具であり、味方であったはずの経済が、いつの間にか、経済をより多く持つ者が経済をより持たない者を支配するための道具になってしまった。
だから大きな資産を持つものを人は羨むし、自分よりも給料が安い人間を、仕事をする上で価値が低い道具だと考えるようになる。
大きな屋敷の奴隷が、小さな屋敷の奴隷をして蔑むようなものである。
人間の価値とは、時間的な将来に社会や集団にもたらしうる多様性や有益性ではなく、頭脳の中で展開される新しさや窮状を打開する勇気でもなく、つまりポケットに入っている小銭の量で決まるらしい。
よってより多く持つ者ほど、結局のところ経済に支配されていることには変わりがない。
それはそうだろう。経済があれば人間を支配できるのだから。
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このからくりに気が付いて、厭気がさしている人も少なくはないだろう。
インフレになることが必然で、インフレに向かうことが適切な場面ですらインフレに向かわないのは、インフレになればなるほど、現行の経済をより多く持つ者は損失の幅が大きくなるからだ。
あるいは人間を安く買い叩くことができなくなるから、それを恐れているようにさえ思える。
経済の均衡を保つ機能を経済は内包しているという信仰があるが、それは経済に対する信用を担保する人間が多い場合の話だ。
経済の信用を担保する人数が減れば、経済の価値(あるいは存在の影)が薄くなる。
人と人との間で、モノやコトをバイバスするのが経済だから、人数が減れば減るほどネットワークの端末が減って、端末間のやりとりが減って、つまりバイパスする意味が失われてゆく。
人数が最後の一人になれば、経済は全くその価値(あるいは意味)を失う。
人は点で、それを結ぶ関係性が線になって、経済がそこに乗っている。
電信柱が電線を結んで、電気が流れるように。
それがやがて人と人を結ぶ経済に、後付けの関係性が乗っているように昨今は認識できる。
ビジネス、コマーシャルの世界がそれである。
経済が先にあって、人が末端に形成される、そう錯覚される。
家電製品はプラグを繋げば動く。
末端のモノやコトだけ見ているぶんには、電線も電柱も必要のないものだ。
電気を使う人間にとっては、電気があれば、末端の機械が自分の不満を満たせばそれでいいのだ。
なに諸君の居住区では電柱が地中化されている?
つまりそれだけ「人間の存在がなくても良いもの」になっていることの象徴ではないのか。
少なくとも日本の人口は今後も減少を続ける。当然だろう。
この国は、人間の顔に値段が書いてあるのだ。
「人間は金で買える」という信仰の元では、人間は足りないときに金で買えばいいモノになるのだから。
金で買える人間は、電車にやっとで乗せたベビーカーの中で泣いたりしないし、保育園に集まってみんなで遊んだり騒いだりする必要がないし、レストランでおむつを交換する必要がない。
金を作らず金で買えない人間は価値がないのと同じだから、目障りだという人間が、すでにいるのだ。
人間が少なくなって、経済の信用がその担保を弱めているにもかかわらず、人間はまだ人間よりも経済を信じている。
人間が減少を続けるのは道理だろう。
人間自身が、すでに、人間よりも別のもののほうが有用で、必要だと言っているのだから。
障害者だろうが老人だろうが赤子だろうが関係はない。買えない人間には価値がない。
経済を持つものが買える側の人間で、かつ、経済で何かを買える人間だけが人間である、と見なしているのが経済至上主義社会だろう。誰かに買われることがなく、何かを買うことのない人間は、存在しないのと同じであり罪人だとみなされる。
だから無職の者や無銭の者を、社会は蔑む。人間よりも経済がエライからだ。
電信柱より電気がエライのだ。当然だろう。電気を流すための電線で、そのための電柱なのだから。
そういう人間たちが、社会を構成して、経済を動かして、社会を操舵しているように僕には観察される。
経済の位置づけが今のままなら、国家が滅ぶのは必然だ。
つまり人間の位置づけが今のままなら、本来の柔軟な文化や精神を持つ日本人というものは存在しなくなるだろう。
僕がここに書いたことを極論だと思う人もいるだろう。
でも表を歩いてすれ違う、多くの人が(買う側か買われる側かはともかく)「買える人間」である。
僕たちは知っているのに、目を閉じている。
だから札束で頬を叩く人はいつまでもそのまま、経済に使われている。
電気や通信インフラがなければアイデンティティの存続さえままならないなら、それは電気や通信に支配されているのだ。
経済がなければ社会が存続しないなら、経済に関与しない人間は不要なのだ。
けれどもそうした必要必須のものから外れたところに、芸術があり、基礎研究や先進技術がある。
それらの多くは、本来的には「お金にならない」ものだ。
それでも誰かの心に深みや豊かさを与え、社会を牽引する応用科学の芽になるのは、そうしたものではないだろうか。
だから古来、貴族は芸術家のパトロンとなり、技術者は製品が社会を満たすことで賞賛を受ける。
そうした「金にならないモノ」や「現状に相反するモノ」を受け容れ、育てる素養こそが社会における文化であり、文明だろう。
風刺も批判も抹殺され、ルール違反も狂気も画一的に矯正されてゆく清浄な世界は、だからファシスティックで禍々しい。
人間の根底にある情動や、理由の分からない好奇心、何かが素敵な何かに繋がっているという予感。
外から与えられ、規定されるものではなく、内から湧き上がる「ナニカ」が人間の正体であろう。
少なくとも人とは経済をバイパスするために組み立てられたデバイスなどではない。
よって経済と人間とを切り分ける思考を、社会は再び手に入れるだろう。
それが合理であり、理想的なことだからだ。
人間が人間の価値を取り戻さなければ、人間は経済によって、最後のひとりまで買い取られるからだ。
人間を貪るものを、古来、悪魔と人は呼ぶ。
刈られた魂がどこに行き、誰が呑み込んでいるのか、人は知っているのだろうか。
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僕はこれまで「現実を見なさい」というお説教を受けたことがたびたびある。
10代の頃もあったし20代の頃もあった、30代になってもまだあった。
まるでダメ人間の典型のようである。猫だからいいもん。
どうも彼ら/彼女たちは、現実がよほど素晴らしいものだと教育されていたらしい。
まぁだいたいは現実世界で現実に生きている現実的な現実の人間だったように記憶している。
もちろん僕の目にだって、相応に現実が見えているはずである。
それでも僕が現実を見ていないように見えるのだとすれば、それは僕にとって現実よりも先に見るべきもの、価値のあるものが僕の中にあったからだろう。
現実ばかりを見ていても、結局、現状がよりよいものにはならないのだから。
それにここでいう「現実」を「経済」に置き換えても、同様のことがいえる。
僕は現実を見ない。経済も見ない。
それらはすべて実体のない影だ。
エナジィがナニカを運動させたときに見える残像だ。
そんなものを見ていても、もうそこにはない。
見えない先に、もうそれはあるのだから。
だから僕は思うのだ。
みんないい加減に理想を見てはいかがでしょうか。と。
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::勝つことで安らぎを失う、とカシュウが言っていた。戦に勝った者は、これまで以上に守りを固め、敵の反撃に怯えなければならない。負けた者には、この心配がない。いずれが得をしたことになるのか、と問われた。
そもそも、戦というのは、勝つことを望んで向かうものではないのですか、ときき返すと、カシュウは首をふった。多くの戦は、戦わないことを避けたい、ただそれだけのために戦ったのだと。
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[出典]
~ List of Cite ~
文頭文末の引用は、
「episode 3: Beads string」(p.222-223)
From
「The Skull Breaker」
(著作:森 博嗣 / 発行:中央公論新社)
によりました。
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[NEXUS]
~ Junction Box ~
[ Cross Link ]
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[Engineer]
-青猫α-/-BlueCat-
[InterMethod]
-Algorithm-Ecology-Engineering-Mechanics-Style-Technology-
[Module]
-Condencer-Convertor-Generator-JunctionBox-Transistor-
[Object]
-Human-Koban-
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[Cat-Ego-Lies]
-青猫のひとりごと-:-夢見の猫の額の奥に-
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