ママの笑顔がふえるココタネサロン主宰
愛とキャリアを両立する 働くママの心理学
春木めぐみです。
不登校、発達凸凹、行きしぶり…子どもが思ったように育たない!!
一生懸命子育てしているのに、子どもが思ったように育ってくれないと、イライラしませんか?
私、心理学を知る前までは、本当に一日中イライラが止まりませんでした…
そして、イライラしている自分にもイライラしていたの。
「どうして私はイライラしちゃうんだろう」「母親に向いていないんじゃないか」みたいに、自分を責めていたのですね。(当時は無自覚)
なかなか寝ない長男に「早く寝ろ!」と怒鳴りつけて、いざ寝たら、寝顔を見ながら罪悪感でいっぱいになる。
私のもとにうまれてきたばっかりに…。ごめんね、ごめんね、こんなママでごめんね…胸が苦しくなっていました。
12年前、アドラー心理学を学び、まずイライラがおちついて、息子を可愛いと思えるようになり
しつこく残った罪悪感は、息子の不登校をきっかけに落ち着いてきました。
「きもち日記」というセルフカウンセリングをするようになってから、イライラのたびに新しい発見があって、
私のせい(罪悪感)も、誰かのせいもない、誰も悪くない、みんなありのままでいい世界を作ろうと思えるようになりました。
イライラしたら思い出してほしいこと
イライラした時に思い出したいのは、「問題はそこにない」に気付くこと。
目の前の問題はダミー。
根っこはもっと深~いところ、自分の心にあります。
自分の心に向き合う作業が、正直なところ私はピンとこなくて…
分かったつもりで、子育て講座を開いていたから、かなり時間がかかりました…
でも!自分の心に向き合えるようになると、問題が問題ではなくなります。
私の大きな気づきは、「役にたてなければ存在する意味がない」というセルフイメージが見つかった時です。
「役にたてなければ意味がない」から、常に自分自身を誰かの役に立つような、難しい状況に置いておく必要がありました。
さらに、頑張って頑張ってなおかつ役に立つという結果まで出さなければいけないという。
無意識に難しい状況を選んでしまっていたのです。
長男が産まれた時は、母乳育児にこだわって、乳腺炎という困難を超えて、長男の役にたつ。
身体にいいからと布オムツにして、大量の選択をがんばる。
泣いたら抱っこと聞いて、辛くても寝不足でも抱っこする。
何かできたら褒めて、自信をつけさせる。
そうやって頑張ってきたけど、長男は育児書の規格外。
落ちつきはないし、友達とケンカするし、自信なさげ。
スーパーでひっくり返って泣く。
まったくもって「良い子」「理想の子どもの姿」には育ってくれませんでした。
そんな長男に、私はイライラ怒鳴ってばかり。
こんなはずじゃなかった。
もっと余裕もって育てるはずだったのに…。
私の母のようになってしまう。ダメ人間を育ててしまう…。
頑張っても頑張っても、息子が思ったように育ってくれない(つまり結果が出せない)状況が、嫌で嫌で仕方ありませんでした。
自分が認められない気がして、ちゃんと子育てできない自分が恥ずかしくて、今すぐにでも子育てから逃げ出したかったのです。
「母親」って不思議なもので「子どもの姿」で自分が評価されているような感覚に陥ります。
子どもが言うことを聞かなくてワガママだと、「ちゃんと躾できないダメな母親だ」と批判されているように感じる。
子どもが他の子より何かできないと「子どもの苦手をサポートできないダメな母親だ」と批判されているように感じる。
自分の評価が落ちるのがイヤで、母に負けるのがイヤで、私は必死になっていました。
どうにかして社会から、他人から、認めてもらいたかったのです。
母よりちゃんとできていることを。
大人になって何年もたつのに、親との心理的な関係が残っているのですね。特に子育てには。
長女で、2歳下に妹がいる私。
父も母も、妹が心配で、妹を可愛がっていて、私はお姉ちゃんだから色々できてあたりまえでした。
でも私は、もっと可愛がってほしかった、認めてほしかった。
認めてもらえない恨みみたいなものが、いつしか「母に負けたくない」に変わっていました。
実際は愛されていたし、認めてもらえていて「めぐみは大丈夫」と頼りにされていたのだけど
小さな頃の私には、伝わらなかったのですね。
「母のような子育てはしない、生き方はしない」と、何かにつけて敵対心があり、反面教師にして生きてきた私。
息子がネガティブな姿を見せるたびに「母のようになってしまう」という怖れがでてきてイライラする。
本当は、母に認めてほしい、愛してほしいわけだから、頑張っても頑張っても、満たされない。
二重の苦しみがあったように感じます。
仲間と学び続けてきたことで、今は「ネガティブでも大丈夫」「頑張らなくても認められる」が、定着してきました。
イライラすることも、かなり減りました。
息子は結局、私の理想とはかけ離れたまま。
自信なさそうだし、身内に意地悪もする。でも今は「それでいいのだ
」と思えるようになりました。
生まれつきの障がいが教えてくれたこと
新4年生になる三男くんは、重度の先天性心疾患。
この時代でなければ、大阪でなければ、救えなかった命です。
ICUで過ごす間は、普通の健康な赤ちゃんと違って、笑いかけるでもない、毎日が生死をさまよっていたけど
それでも愛おしくて大切な存在でした。
この子は生きようとしてるんだなと感じて、涙がいっぱいあふれました。
この経験と、アドラー心理学の学びが重なって、存在を認めるってこういうことか!と体感しました。
私も、長男次男も、みんな一緒で、何かが特別できるわけじゃなくても、何かが下手でも、ダメなところやできないことがあっても
生きようとしている、今のこの姿が素晴らしいんだ。愛おしい存在なんだ、と思えるようになったのです。
そうすると…。
長男次男がケンカしてると「ケンカできるっていいね、言いあえるっていいね」と思えたし
ごはんを嫌がって、おやつ食べちゃう時も「好きなものがあるっていいね」と思えたし
保育園で友達とケンカしたら「ぶつかりあえる友達がいるっていいね」と思えたし
私自身、気分屋だし、ポンコツな母親だけど、「いいママになろうとしてるね」「できることやろうとしてるね」と
自分に優しいきもちが芽生えてきました。
どっちが先だったか分からないけど、自分に優しくできると、息子にも夫にも、優しくできることがふえてきました。
息子が小さい時に、子どもとして可愛い時期に、心のしくみを知れて本当によかった。
そして、母も父も、心のしくみを知っていれば、あんなにぶつかりあうことなかったのに…とも思います。