俺がプエルトリコで不法移民容疑でブタ箱に投獄されたのは

ちょうどソウルオリンピックの時だった。

 

俺を含めた14、5人の囚人が鉄格子の中に入っていた。

なんとも蒸し暑く寝苦しい夜を過ごしたのを覚えている。

 

鉄格子の向こう側にはテレビがあり、ソウルオリンピックが放映されていた。

俺は鉄格子にしがみつきソウルオリンピックに釘付けになっていた。

 

1988年の夏季オリンピック、俺は23歳だった。

 

俺が入っていた牢獄は15人は収容できる大部屋で二段ベッドが立ち並び、トイレとシャワーは壁の仕切りの向こう側にあった。とにかく蒸し暑かったが、シャワーを自由に浴びることができたのは有り難かった。

 

ご飯は正直、俺の口には合わなかった。驚いたのが他の連中の口にも合わなかったらしく、みんな文句を言っていたが、看守にお願いするとスナックを買いに行ってくれることがわかり、お金を持っている奴は看守に頼んでいた。

俺も何度かポテトチップスとコーラを買った。

 

俺がそれほど暗い気持ちにならなかったのは、看守を含め皆んないい奴だった。

 

部屋の中にテレビがよく観える場所があり、ボス格の奴がその場所を陣取りテレビを観る。しかし、俺が唯一のアジア人だったのでソウルオリンピックが始まると

 

おまえがここに座れ

 

と言って、俺にその特等席を譲ってくれたのだ。ソウルに対するリスペクトなのかアジア人の俺を特別扱いしてくれた。

 

俺が日本人だと知ると看守は鉄格子の向こうから皆んなに日本の素晴らしさを語ってくれた。トヨタやホンダが南米に工場を持っていることで自分の国の車だと勘違いしていた連中は驚いていた。

 

トヨタもホンダもカワサキもソニーも日本から来たんだぞ!

 

と自分の知識を披露し囚人たちを驚かせていた。

 

そんなことも知らないことに逆に驚きつつ、俺は特等席で鉄格子にしがみつきソウルオリンピックを観ながらポテトチップスを食べ、缶コーラで喉を潤していた。