深沢にある都立園芸高校の正門前を通りかかった時に、
史跡「兎々呂城(とどろじょう)」
と書かれた小さな石碑を見つけました。
変わった名称で何だろうと思い調べてみると、
園芸高校付近一帯が兎々呂城の城跡とされ、
城主は小田原の後北条家の家臣だった南条右京亮重長で、
1564年頃に築かれたとのことです。
1590年に豊臣秀吉の小田原征伐で小田原城が陥落すると、
南条重長公は城を出て土着帰農したとされ、
子孫の方が現在も近くにお住まいのようです。
この「兎々呂城」は「城」を「キ」と読み「トドロキ」
と読んだのではないかという説もあるようで、
それが現在の「等々力」トドロキという地名になったという説もあるようです。
園芸高校は明治41年に農業学校として設立され、(現在は園芸科、食品科、動物科)
東京ドーム2.3個分の緑の多い広大な敷地にあります。
ここに昔お城があったと思うと不思議な気持ちになります。
松本