さてさて、本日は「哀れなるものたち」3回目。
原作についてです。
映画の「哀れなるものたち」には原作があって、原作の方はちょっと複雑な構造をしています。
すなわち、作者のアラスター・グレイが19世紀に書かれたある手記を発見し、そこに書かれている奇妙な内容が真実だと確信したことから、その手記とそれにまつわる関連資料を合わせて編集し1冊の本にした、という構造。
映画化されているのは、その最初の手記、ベラの蘇生後の旦那さんが書いたベラの生涯についての手記の部分のみとなってます。
確かに、この部分が一番奇想天外で、映画にしたら見栄えがします。
でも、原作の方では、ベラ自身が書いた自らの人生を綴った孫(曽孫)に宛てた書簡が続いていて、ここでは、彼女の旦那さんが語っていること(映画の部分)が、全くの出鱈目、彼の創作であると語られています。
まあ、普通に考えたら、赤ちゃんの脳を若い女性に移植して生き返らせた女性が、自分に一目惚れして許嫁となり、長い旅の後、自分と結婚して幸せに暮らした、・・・・なんて、やっぱり嘘だよねぇ、ああ哀れなる旦那様・・・と納得したくなるんだけど。
作者のアラスター自身は、旦那の手記が真実であると確信しているニュアンスもあって、一体どっちが真実なんだろうと、なんだかケムに巻かれるような不思議な読後感になるんですが。
ベラ本人の手記を読むと、旦那が語ったベラの人生がなぜあのようであったのかということの答え合わせができるような感覚があって、その感覚は映画にはない感覚であるような気がします。
まあ、その「答え」が正答なのかどうかさえ、不明ではあるのですが。
映画を見て面白いと思った方には、是非とも原作も読んでいただきたいです。
映画も悪くないですが、個人的には原作の方がより興味深く読めました。映画と原作、比べてみると、2度美味しいこと、間違いなし、ですよ!
終わり