第七回公認心理師国試問題 問65への違和感について | こころの臨床

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第七回公認心理師国家試験午前の部の事例問題第65問。

この問題を初見したときの違和感(「これは、正答できないだろうな」との直感を含む)と、

答え合わせをしたときの、やっぱり、というにゃんの印象はどこからくるのか~!?!を掘り下げてみようと思います。

 

       😺

 


この問題は、Aさん...22歳の大学生(男性)本人の心の不具合の現れへの癒しに寄り添おうとしているのか、或いは、Aさんの周囲(大学関係者·家庭など本人と直に関わる関係者)の当惑を解消しようとしているのか?

 

 

......この事例解説文面はどうも、後者の視点に重きを置いているように感じられたのが、初読時直ちに湧き上がってきた違和感の根本的要因だったように思います。

 

 

 

                  😿

 

 

問題の問題(問65)に関する先日の前倒し投稿について、日頃から貴重な情報を教えてくださる或る保健師の方から、この問65をはじめ10問あまりの「病態の理解として、最も適切なものを1つ選べ」の設問が成された出題は事実上、医行為への「越権」が求められているのではないかとご指摘をいただきました。

 

 

                  🙀

 

 

4月7日の心楽の会卯月例会での国試総評の際に報告したのですが、DSM基準での診断に関わる問題は、第六回国試から引き続き、第七回でも、一般問題8問、事例問題5問と頻出です。



つまり、国試という公の舞台で、「公認心理師には、診断能力があって然るべき(あくまでも診断することではなく)」と声高に演説したも同然なのです。

 

 

これら計13問の回答に臨む人は、提示・記述された症例を診察する精神科クリニックの医師と同じ視点に立つことが求められます。

 

 

しかし、それらの「診断」材料は、すでに成された問診から得られるものだけです。

 


要は、診察した医師の経験と技量の水準が要因として問われて然るべきですが、その点は最初から不問です。


つまり、これらの問診から得られる、両親と本人の陳述とその陳述の際の態度から診断者が受ける印象に基けば、到達しうる「病態の理解」が「正答」として存在する、との前提で、「最も適切な」回答として、DSMの診断基準に基づく鑑別が求められています。

 

 

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鑑別「診断」の材料として問題文本文に記されているエピソードからは、じつのところにゃん自身も、おそらくは大半の受験者と同じく(!??)Aさんは「軽躁」状態だとの印象を受けました。

 

 

その理由は、家族が1ヶ月も手を拱いて見守っていられるほど、日常生活に過重な支障や家族への実害がさほど及ぼされていないと見て取れるからです。

 

 

趣味のバイク関連の出費にしても、差し迫ったタスク(卒研)からの逃避行動として理解できるものであり、家族に金銭的に多大な負担をかけているとの旨も、記されていません。

 

 

✌️😽 🏍️

 

 

診察した医師に対するAさんの言動は、権威者として自らに対峙する卒研の「指導教員」を投影したものである可能性を考慮すべきではないでしょうか。

 

🧑‍🏫  ≒ 👨‍⚕️

 

 

本人の報告する指導教員との「口論」も、指導教員が本人の主張を無視せずに向き合う姿勢の

表れだとすれば、本人の主張が全くの非論理的なものではなく、感情的に誇張されたものである可能性も十分推測できると思えます。

 

 

権威に対峙している<場>の環境において、自分を認めてもらいたいと、自慢したり、「自分の研究はノーベル賞級の素晴らしいもの」といった力説も、中学生なら微笑ましく受け止められるけれど、22歳の大学生なら、病的・異常と看做すべきなのでしょうか...。

 

 

😿

 

 

<場>に依拠する勢いというものもあり得ます。診察する医師の受容性(なんでも出してくれ)

によって誘発された、自己防衛的な拙いハッタリだったのかもしれません。

 

 

大学教員や医師というAさんの審判を行い得る権威者の前に置かれたときの、Aさんの反応パターンではないか?との可能性を見逃してはならないように思います。

 

 

くだんの、バイク改造に費やした「かなりのお金」についても、その具体的な額は不明ですが、

本人が「かなりの」と表現していることから、ある程度浪費行動の抑制の必要性を本人が自覚

しているようにも窺われます。

 

 

 

以上から、わたくしも、Aさんの「躁…マニー」は、物心双方での自傷と人的他害の程度が深刻な域にあるとは判断できませんでした。💦

 

 

😿 😿 😿

 

 

その自らの印象(いま言語化に随分時間がかかりましたが、上記は、問題文への「印象」として

一読後に直観したもので、そのねこの勘)が、「誤答」へのつまづきとなりました。

 

 

消極的な消去法でなければ回答できない、すっきりしない問題でした。

 

 

 

この問題の検討は今後も継続し、最終的には本年末年始恒例の年越し〈社会の中の精神医療をめぐる諸問題〉考究会で「事例問題」問題事例として取り上げたいと思っています。