「箱庭療法」の章?節?は紙数としては、本著のごく一部(p121-140)に過ぎませんが、河合先生の四半世紀の箱庭経験の集積が述べられる濃密な部分です。
「心理療法の根本は自己治癒、…[略]…といってもクライエント本人の意志の力によって治るのではない。クライエントの無意識内に潜在する自己治癒力を活性化することが必要であり、そのためには、治療者や箱庭が必要となってくる。…[略]…自己治癒力と言ってもそれはそれ以前の古い自我を破壊する力も含んでいる…[略]…そこで、自己治癒力が活性化されるための「守り」を必要とし、その役割をするのが治療者であり、箱庭という「枠」なのである。(p126)」
箱庭での表現で引き出される自己治癒力は、「単なるカタルシスではなく、新しい創造であることが大切…[略]…その表現がクライエントの理解を変えた想像力をもっている(p127)」。
箱庭療法の治療者は何もしないとはいえ「「自我」の主体性を放棄して、ゲ二ウス・ロキの働きに身をまかせている…[略]…これは…[略]…楽だなどというのではなく、大変な心的エネルギーを必要とする(p136)」。
「まとめる」と「おさめる」の異なりは、プリンシプルの有無であり、「うまくおさまっている」という「一種の体感」が重要(p130)。
「治療者は傍に居て、ほとんど何もしていないのに、その結果を見ると、治療者の能力差が歴然としてっくるのだから恐ろしい(p131)」。
「箱庭の作品のみから、「治った」とか「よくなった」とか速断することは危険である。イメージをすぐに外的行動に結びつけないように注意すべき(p135)」。