これって、息子と母の、一つのエディプス的な帰結(大円団)なんだなあ…。
母が、性の芽生えを体験した幼い息子に対して、かけたかる~くあったかい一言が、その後の息子の人生の潤いにつながっていく。…自作の歌の歌詞が、あの時の母の一言へのレスポンスなんだろうな…と思います。
冒頭近くの回想場面で、女学校の少女たちの『早春賦』の合唱のエピソードがあります。この歌については、かつて10年ほど前(対面での開催時)の心楽の会月例会で、實川幹朗先生が、この歌詞に秘められた女性の性の芽生えとその抑圧について解析されたことが想起されます。
広島に比べて、描かれることが少ない長崎の原爆、戦災に引き裂かれた少女同士の切ない思い。本編でも、時代は異なるのですが、韓国映画『ユンヒへ』(2019)が連想されます。
「ペコロス」のお母さんと同じグループホームに入居している女性の息子(竹中直人演)が頭を丸めて、母の憧れだった先生(の代理表象となって)母と睦まじくなるエピソードなど(特に竹中さんが登場した時にズラだったことはそいうことだったんだ!!)
こんなかんじで「精神分析…エディプス複合」を補助線として理解することも一つでしょう。
このような分析ごときで、このペーソスを基調とする温かなヒューマニティの価値を損なうことにはならないと思います。
むしろ、老老介護の中で、再認される〈性〉というあまりにも人間的な要素がほんのりと描けていることへの賞賛としての解釈になろうかと思います。
もしかしたら軽くネタバレ(部分的に領域指定)
ランタンフェスティバル(春節祭)の夜、雑踏の中に彷徨い出た母は、会いたかった今は亡き友達や夫と出会います。春節祭という、境界的な時空。ランタンに照らされた海を望む場所で、母を見つけた息子と孫息子が、ほっと安堵して、和やかな笑みを浮かべる母(とその幻想では母の親しかった思い出の人々と)の写真を撮る。ここをクライマックスとして作品は幕を閉じます。