宗教学会第82回大会公開シンポ参加報告5/10 | こころの臨床

こころの臨床

心理学は、学問的な支えも実践的身構えも、いずれも十全と言うにはほど遠い状況です。心理学の性格と限界を心に留めつつ、日本人が積み重ねてきた知恵を、新しい時代に活かせるよう皆さまとともに考えていきます。

第3報告(松山洋平:東京大学准教授)「日本の公教育はイスラームをどう語るか」

 

検定教科書に則したものと独自授業が行われている。

中等教育の中でのイスラームの語られ方。その内容の特徴・傾向・課題を紹介したい。

先行研究紹介[割愛]。これまでフォーカスされていなかった論点の提示してみたい。

 

・中等教育のなかで、検定教科書でのイスラームの語られ方
教義の世界観があいまいにしか説明されていない。(イスラム・キリスト・仏)

なぜか?死後の救済の話題を避けて説明しようとしている。現世的枠組みで説明できるかたちでしか説明しない。本質的なところを説いていない。救済宗教であるはずなのに。

なにを信じているのか、なぜ信じているのかが不明なまま止まってしまう。

コーラン主義。すべてコーラン(クルアーン)に具体的に書かれている、とする教科書が多い。

中学生が初めてこのような表現を読んでしまうと…?!。しかし、それらの記述は事実ではない。

物理的に不可能、実際にはない。礼拝の仕方も回数等も具体的なことはクルアーンには書いていない。遺産相続の話とかは、具体的記述があるが。地域・時代によって変わってくることが反映されていない。死後の話題が言及されない。

・中等教育のなかで、独自授業でのイスラームの語られ方

非対称的な立場からの不躾な質問。

「テロ」「ほんとうに豚を食べないのか」等を矢継ぎ早に。

マジョリティからマイノリティーへの典型的なマイクロアグレッション。

インクルーシブ教育。マイノリティ、必ず教室に当事者がいる場合を想定すべき。

ぞんざいに扱っても構わないという認識を与えてしまう可能性がある。

 

・まとめと考察

そもそも、イスラーム教育以前に、土台としての宗教教育がされていない。
時間的に難しいという実情、…ならば、行う必要があるのかどうかの議論が必要ではないか。

日本の宗教文化について、まず考える時間を設ける。

クラスメートに当事者がいる、これからも増えていく。

教育については、自分は専門ではないので、以上の論述は的外れだったかも…。

 

 

松山先生の配布レジュメから、先行研究と参考文献が載っています。

 

🐱:プレゼンとして申し分ない...迷いなく明確に焦点が分かりやすいご講義(「授業」)でした。

このあと10分の休憩、会場からの質問紙の回収が行われました。

 

(つづく)